●死 し
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すべての人間社会の文化は死についてのなんらかの対処法,あるいは死を一つの問題とみたとき,その解決法と呼べるようなものを提示している。死の起源についての神話,死後の世界の信仰などは,この解決を観念と空想の領域で示そうとするものであり,死をきっかけとして行われる諸儀礼すなわち葬制はこれを行為による象徴的・演劇的表現の領域でなそうとするものである。死を個人の人格の完全な無化とみなし,かつその無化への代償をなんら用意していない文化は存在しない。それは死後も存続する霊魂と他界における第二の生という観念形態をとることもあれば,この世に残る子孫とか名声あるいは生前に成し遂げた事跡といった物象に託することもあり,また生者が死者のために行う記念の行事であることもあるが,人間の文化は必ず物理的な死を超える何ものかを提供しているのである。以下,未開文化を例にとり,死の代償ないし解決としてここに挙げた三つの形式について述べよう。【霊魂と他界】タイラーのアニミズム説は夢の中に死んだ人の像をみるという心理現象を死後の存在の信仰に結びつける。すなわち死者が夢みられる以上彼(あるいはその霊魂)はどこかに存在するという理屈がつけられ,それが他界のイメージの成立に導くという。この説はあまりにも合理主義的な説明だとの批判にさらされたが,死後の存在と他界の表象の発生を,人間の記憶能力と心像の外的投影に求めたことは基本的に正しい。死霊信仰は,キリスト教などの教義宗教における霊魂不死の観念に近いといえるが,未開文化にあってはこの不死を永遠のものとすることはまれである。多くの場合,他界での生はこの世の生ときわめて似たものとイメージされており,それゆえに霊魂もまたあの世で死ぬと考えられている。つまり,死に対して不死を対置するのではなく,第二の生を対置するのだといってもよかろう。東南アジアの山地民社会でみられる観念によると,霊魂はこうして溶解し霧や雨となり大地に入って穀物を実らせる。これを食べることによって後の人は生活を続けていくわけであり,ここに一種の輪廻思想の萌芽,死から生への回帰のモチーフをみることができる。
【社会的代償】第二の生という観念が十分に展開されていない文化(特にアフリカの牧畜民社会)では,死は子孫の繁栄とか名前の継承など社会的な代償によって一種の救済を受ける。ヌエル族の幽霊婚という慣習は,結婚することなく死んだ人物の名義で別の者が結婚することによって,そこに生まれた子供を死者の子供とする制度であるが,これによって死者は社会的な無化から免れることができる。これは死という問題を社会制度のなかできわめて巧みに解決するものだといってよい。隣族のディンカでも子供をもつことが不死を達成する唯一の方法であるといわれている。また東南アジアの生きた巨石文化のもとでは,巨石記念物の建造がそれを建てた者の生の証しであり死後,彼の存在が社会のなかに永遠に残されることを保証する。
【儀礼的解決】人類に普遍的な現象の一つは死を儀礼で彩ることである。そこにはしばしば死を象徴的に克服する生と再生のモチーフが現れる。極端な例はメラネシアの族内食人の儀礼であり,遺族が死者の肉体の全部または一部を食ベる。これは死者の生者への直接的同化による死の超克であるが,それ以外にも死の儀礼は性的豊饒の表現(たとえば乱交)や遊戯の過剰を伴うことが多い。こうして儀礼は死を生に置換する装置となる。時には死後盛大な儀礼が行われること自体が人に大きな意味をもつこともある。スラウェシに住むトラジャ族は濫費的といえるほどの祭を死者のために催すが,これによって個人の死は社会との広範囲なつながりを獲得するのであり,死を生者の営みのなかに積極的な意義をもつものとして据えるのである。