50音順    検 索

●三大事件建白運動 さんだいじけんけんぱくうんどう

アジア 日本 AD1887 明治時代

 1887年(明治20)10月,内外問題に対しておこされた政治運動。井上馨外相(第1次伊藤内閣)は列国合同会議(東京)で内地開放・外人判事任用を含む新条約案をまとめたが,政府部内で小村寿太郎ボアソナードらが批判し,欧米視察から帰国した谷干城と反対して農商務相を辞職。条約案が世上に洩れると屈辱的内容とする非難が高まり,全国各地から代表や壮士らが上京,示威運動・建白・請願が相次ぎ,板垣退助も長文の意見書で失政を責め,自由民権派が流布した秘密出版物は政府攻撃の具となった。条約改正は無期延期され,9月井上外相は退陣。翌10月,高知県代表片岡健吉らは,[1]地租軽減,[2]言論集会の自由,[3]外交失策の挽回,を要望する「三大事件建白書」を元老院に堤出し気勢をあげたが,政府は12月保安条例を発し570名を皇居外に追放し片岡らを検挙したので,運動は打撃を受けた。

〔参考文献〕『自由党史』下,1958,岩波書店