●山村 さんそん
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【山村の概念と性格】山村とは,山間地にあって山地および山地資源に依拠した生産活動を営むとともに,山地空間の環境全般の影響を受けることによって形成された独自な生活文化を保持する村落をいう。一般的に,平地にあって稲作を中心的生業とする農村に対し,山間地にある農村を山村と呼ぶこともあるが,これは上記の山村が変容して成立したものが多い。山村の語を農村や漁村と比べると,農村や漁村が生業による分類であるのに対し,山村は景観にもとづく分類であって,その基準が異なる。たんに山間地にあるというだけの理由で山村とするのならば,山村の概念を定立する積極的な意義は小さい。具体的には,山地農耕として特色のある焼畑や伐木・製材・炭焼き・狩猟などに従うムラがあげられる。したがって,景観のみによって定義されるのではなく,農村とは異なる土地利用や生業活動・社会生活・思考様式など広範囲に及ぶ諸特徴が考慮される。たとえば,山中を日常的空間とは異なる人間を超えた存在(モノとかカゼなどという)が支配する世界と認識するような精神文化やこれと深くかかわる山の神信仰などが存在する点を重視する。また林野に代表される山地がたんに地理的・地形的な意味にとどまらず,人びとの生活に必要な食糧や生活資材の採取に関与すると同時に,それら山地資源の所有・利用のありかたが住民の社会関係をも規制するように,山地の影響を受けて成立する要素を多くもつところに山村の基本的性格が認められる。山村の開発伝承として落人が開いたとか,木地屋が住みついたとかいう例が少なくないのも,こうした性格を示すものである。【山村の生業と類型】山村の生業は,焼畑,伐木,製材,炭焼き,木材加工,樹液・樹皮・樹根などの採取・加工,狩猟,川漁,木の実などの自然物採取など多様である。この多様さは山の自然のもつ多様性に応じて生み出されてきた。このうち一つ二つを専門にするということはなく,一人が何種類もの仕事を同時に行う点が特徴でもある。またその内容からこれらに従う人びとの性格を大きく二つに分けることができる。一方は,山地に集落をつくり定住することによって生計を維持する人びとであり,他方は定住せずに山中を移動することによって成り立つ生業活動に従う人びとである。前者は焼畑を中心とする自給的農耕を行う一方,ソマ・コビキ・炭焼きなど現金収入源となる山仕事に従事する。すなわち,農耕と山仕事からなる相互補完的生業構成をとって多様な働きを示すわけで,この人びとの居住する山村が多数を占める。後者は山地資源を求めて移動しながら生産活動に従事するところに特徴があり,いわば工人集団的性格を有し,農民とのあいだに交易を行って生計を立てた。木地椀や盆をつくる木地屋,箕つくりなどをするサンカ,専業的狩猟者である奥羽のマタギなどがあげられる。彼らは山に生きる人びとらしい独得な生活慣習を発達させた異色な存在であったが,現在では多くは消滅した。またソマ・コビキなど自らの技術を頼りに他地域へ出稼ぎに出る者もあり,なかには各地を渡り歩く者も少なくない,山の文化運搬者としての役割も担った。多様な生業のうち主要生業を指標にして山村を類型化すると,基本的には[1]狩猟村落,[2]林産村落,[3]焼畑村落に区分される。これらはそれぞれ東北日本・中部日本・西南日本の外帯山地に,日本の南北に重なりあいながら分布する。この配列が日本の山民生活の発達段階を平面的に示しているともみられる。さらに,[1]狩猟を生業とする村落(東北日本),[2]焼畑および狩猟を専業とする村落(主として西南日本),[3]林業を専業とする村落(主として近畿・中部地方),[4]木工を専業とする村落(近畿・中部を根元地とし,その周辺の山間部),[5]炭焼きを専業とする村落(都市周辺)という5類型に細分化することもできよう。いちおうこのような類型化は可能であるものの,山村の性格はそれぞれの地理的歴史的条件によって形成されたわけであり,実態としてはこれら類型のあいだを揺れ動いた形態を示しながら存在しているといわなければならない。
【山村の生活構造とその変貌】山村の山村たる特性は山地資源に依存する生業活動の存在に求められるわけであり,このことが山村の生活構造を決定する要因としても作用している。福島県南会津郡下の一山村を例にとると,ここでは春から秋にかけての自給的農耕と冬を中心とする現金収入源としての山仕事から生業が構成され,この二つの生活はそのまま年中行事を構成する原理となっている。図に示したように,二つの異なる生活はイイデッコ(飯豊講=作神祭祀)と山の神講(山の神祭祀)という儀礼によって明確に区分されている。秋の農耕(稲作も含む)収穫儀礼は,イエ単位で行うカリアゲクンチ(刈り上げ九日)・ワセドリ,マキと呼ぶ本分家集団単位で行うツボハタキ・ニワバシメイ(庭場終い),ムラ単位で行うイイデッコと順次その儀礼執行集団を拡大化しながら行われ,ムラ全体で行う収穫儀礼であるイイデッコにおいて農耕生活に終止符を打つ。その翌日に同じくムラ全体で行う山の神講において山仕事へと生活が転換される。春の山の神講とイイデッコは逆に山仕事から農耕へ転換する生活の折目となっている。したがって,春に天から下り秋には天に上ると信じられてきたジチンサマ(地神様)の儀礼と山の神講とのあいだは,農耕から山仕事の生活へ転換する(春はこの逆)ためのいわば準備期間として位置づけられる。年間の生活リズムを端的に表現する年中行事にみられる二つの生活は,この山村の生活の基本的構造をなしているといえる。山村の社会生活構造を規制する要因としては林野の所有形態を考えることができる。そのうちに注目を浴びてきたのは広大な林野を独占的に所有する地主が存在する場合で,このような山村では地主に対する依存度が必然的に高まり,いわゆる親分子分関係を軸にした村落構造を生み出す。親分としての地主の支配はたんに土地利用をはじめとする生産活動面にとどまらず,村落の寄合・共同労働・祭祀から村落構成員の婚姻にいたるまでさまざまな面に及ぶ。地頭とかダンナと呼ぶ地主が大きな力を握っていた九州山地の五木谷などはその一例である。これとは異なり共有地の割合の高い山村では,村落構成員の平等をはかる林野利用慣行が生み出され,個々のイエが独立性を保ちながら対等な社会関係を結ぶことを軸にした村落構造がつくられる。しかしながら,いずれの場合も資本主義経済の浸透などの経済的社会的変化により大きく変貌を遂げつつある。一般に,生産性の低い林野に対する依存度の高い山村は経済的基盤が脆弱で不安定であり,外社会の動勢に大きく左右される。とくに生業はその影響を直接かつ先鋭的にこうむることが多く,幾多の変遷を重ねてきたのが通例である。かつて山村に行われ,現在滅びた生業の種類は数多く,それらのほとんどが零細な余業的生産に終始したことが,その消長をいっそう激しくしたといえる。とくに昭和30年代に始まる高度経済成長政策の推進は山村の生業構造に一大変革を迫るものであった。それは冬季を中心に行われてきた現金収入源としての山仕事がもっていた経済上の意味を喪失させることになり,それとともに冬の時間を空虚化させることにもなった。山村が山村として自律的に存在しつづけることが可能であったのは,山地資源に依拠した生業活動が経済・生活上の意義を十分に有していたからにほかならず,この部分が消失したときに山村は大きな岐路に立たされなければならなかった。過疎化現象が山村地域に顕著に現れたことも,ここに一半の原因を求めることができる。今日,山村地域の多くが脱山村化の方向や新たな山村像を模索することでその振興を図ろうとしているのが現状である。
〔参考文献〕藤田佳久『日本の山村』1981,地人書房
柳田國男編『山村生活の研究』1938(1975年復刊),国書刊行会
石川純一郎「山村の村落形態」国学院大学日本文化研究所紀要37,1976
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