●三千院 さんぜんいん
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現代のヤング層からは京都の代名詞的受けとめ方をされている寺院。ムードといい観光というも,現代版“初瀬詣・熊野詣”は社会風俗的な意味があろう。草創は最澄までさかのぼるが現在地には応仁の乱後うつったもの。皇族門跡の寺として宮中の懴法をもっぱらに行い栄えた。現本堂は常行三昧堂形式つまり堂のなかで修業者が極楽往生を得んとし三昧に入るための堂である。中央内陣には舟底天井に二十五菩薩来迎図を彩る。藤原文化の国風嗜好を表す。阿弥陀三尊は大和坐りした両脇侍・観音・勢至に特色がある藤原期の仏像。三千院の寺名は仏前で唱える経文の音律−−声明を伝え,統轄してきたところからなったものである。大原声明といわれ仏教文化の多様さに思いいたらされる。江戸時代最初の山城地誌である1686年(貞享3)刊の『雍州府志』に三千院の名は出てこない。勝林寺・理性院・円融房などが今日の三千院に関係する語であったものと思われる。