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●山水画 さんすいが

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 水墨そのほか東洋画法による風景画の総称で,発祥は中国である。山水画として独立したジャンルが成立するのは唐代以後であった。それまでは人物画などの背景として山や川や樹木が描かれていたにすぎない。しかし中国には道教など民間信仰において古くから自然崇拝があって,山と水は自然の2大要素とされ,“山水”の語は大自然を意味し,宇宙における地上の事物の発生の根源とされ,万物を生育する神的存在として崇敬されていた。魏・晋・六朝と経過するにしたがい,民間信仰であった神仙思悪・陰陽説・五行思想・道家思想などによりさらに強固に,中国人の根本理念へと育っていった。霊山・名山・聖山などへの崇拝は清泉・神泉・霊泉・瀑布などと結合して,具象的に山水画として描かれていく。その発祥はすでに魏にみられ,晋・六朝時代と漸次発展をとげたが,それは工芸品などの装飾文様の域を出なかったし,あくまで挿絵的な役割を果たすにすぎなかった。しかしそれは自然の美を詠ずる叙景詩が六朝時代(3〜6世紀)におこったのと事情は同じであった。前代の漢代に初めてインドから仏教が伝来し,この六朝にいたってようやく中国の社会に根深く定着したが,この異国の宗教・文化に刺激され,在来の民間信仰であった道教が初めて宗教としての教理・儀礼・教団を組織したのもこのときであった。この道・仏融合のときに仏教の居士(こじ)であった宗炳(そうへい,375〜443)が出て『明仏論』を著した。彼の思想は易の“神”の哲学と老荘の“養神”の哲学を基盤とし,それにもとづいて初めての山水画論書『画山水序』を著した。この書は彼がかつて遊歴した各地の名山水を,老後病身となってから居室の壁に描き,その前で坐臥して〈懐(こころ)を澄ませ道を観て楽しんだ〉ことを描いた画集の序文にしたものである。彼以前にも陶淵明(365〜427)が〈山海図を流観して,俯仰に宇宙を終(つ)くす楽しみ〉をうたい,また宗炳の山水画の哲学に共鳴した孫綽(晋の文学者)が『天台山賦』で〈山岳の神秀なるもの,玄聖の遊化する所〉とし,〈篤く信じて神(しん)を通じ,神を馳せ思を運(めぐ)らす楽しみ〉をうたった。宗炳においては山水の霊妙さが老荘の“道”の象徴であり,山水画もまた“道”の造形化であった。したがってモチーフとなる山岳渓流は古来の名山,五行思想にもとづく霊山でなければならなかったし,一方仏教との妥協をはかって“自然曼荼羅”ともいうべき宗教性を帯びた山水画となっていった。宗炳の思想はこののちも唐の荊浩・宋の郭キ※注1※(かくき)・米フツ※注2※・清の石濤らの山水画論に継承され,このような山水画を前に琴酒を楽しみ,精神を隠逸の境地に遊ばせることを人生の至福として賛美するのである。ところでこれら山水画の画法をみると,唐末の張彦遠が『歴代名画記』で〈山水を写貌す〉といっていることから,明らかに写意をこめた写実画であって,唐の呉道玄・季思訓で成立したと述べている。やがて水墨山水画は五代・北宋と推移して成熟の度を増し,山水画の専門画家も続々と登場し,やがて中国画の一大画題として定着し,種々の形式が生まれた。これを季節のうえから区別して四季(春景・夏景・秋景・冬景)山水,また気象的山水画題としては雨景・雨中・風雨(涛)・雪景山水など,構図上からは真山水・重畳・平遠・楼閣山水。画法用筆のうえからは破墨没骨(もっこつ)・米点米法山水。着採技法からは水墨・浅シ※注3※(淡紅色)・青緑・金碧山水。樹林を取り入れ竹林・松林・柳桃山水など多岐にわたって中国山水画は発展し,朝鮮・日本に伝播,東洋絵画の主流として君臨するにいたった。内容も精神性を高めることにつとめ,“画文一如”“詩画一如”の達意の境地に到達することを最終目標としていたため,文人画なるジャンルも生まれ,それらが禅の精神とも共鳴して,わが室町禅僧を魅了して,『詩画軸』なるものも生まれ,漢詩文を弄ぶ五山文学の隆盛と相まって,室町水墨画の生成発展をみ,現代にいたるも独特な魅力をもちつづけている。

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