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●三省六部 さんしょうりくぶ

アジア 中華人民共和国 AD 

 中国,唐代に確立した政治行政の最高機関。三省とは中書省・門下省・尚書省の総称。このうち中書省は,皇帝に直属し,その諮問に応じて政策の立案・詔勅の起草にあたる,いわば皇帝の私書官兼ブレインとしての機関であり,門下省は,この中書からまわされる詔勅などの案件を審議する役割を担った。なおこの審議には,封駁(ふうばく)と呼ばれる中書への差し戻しの権限も認められていた。これに対して尚書省は,その下に吏部(人事)・戸部(財政)・礼部(文教)・兵部(軍事)・刑部(司法)・工部(土木)の職掌をことにする六つの部門(六部)を備え,中書・門下を通して決められた方針・詔勅を実行に移す行政機関,つまり内閣であった。付言すれば,中央の機関には,このほか,御史台・五監(国子・少府・軍器・将作・都水)・九寺(太常・光禄・衛尉・宗正・太僕・大理・鴻臚・司農・太府)などがあり,三省六部と補完しあう関係にあった。三省の長官および次官は,中書が中書令と中書侍郎,門下が門下侍中と黄門侍郎であり,一方尚書では,官制上の長は尚書令であるが,2代目太宗が即位前にそれに任じられたことがあるため,以後欠員とされ,次官の左僕射(さぼくや)と右僕射が実質上の責任者の役目を果たした。国政を統括する宰相には定制定員はないが,通例,三省の長官,つまりは中書令と門下侍中が,そして場合によっては次官までがそれにあたった。なお六部には,それぞれ尚書が責任者として置かれた。このような三省六部制を特徴づけるのは,何よりも,皇帝の意思といえども門下の同意を必要としたという点であり,ここから中書と門下とによる合議体制,一歩下がったところに位置する実務担当の尚書,という関係が浮かび上がる。こうしたあり方は,前漢以来の流れのなかで形づくられた。そもそも秦・前漢期,臣下の最高位に立った三公は,皇帝権を規制しうるほどの,歴史的社会的に培われた影響力を有していた。そのなかで皇帝の側近は,地位は低いが直系の文書係たる尚書を重用して対抗し,後漢の光武帝時にはついに尚書が政務を取り締まるまでになった。だがこののち,尚書は録尚書事などの肩書きで大臣に兼務されて皇帝から離れ,唐の六部に連なる部門(曹)をもつ実務担当の機関へと整備されていく。こうした尚書に代わって新しく重んじられ,宰相としての役割を果たすことになるのが,皇帝にとってより側近で私書官として機密をあずかった中書監や中書令で,ここから中書省が成立する。一方,門下系統の官は,もともと皇帝に近侍する栄誉ある資格(加官)であったことから,重臣名族の兼ねるものとなり,魏晋以降の貴族優勢の時代には,その牙城となった。こうして三省六部の制は,漢代以来の皇帝権強化の試み,貴族勢力の台頭などさまざまな力がはたらくなかで明確化し,南北朝時代の後期にはほぼ形を整えるにいたった。これを受けて隋および唐でいっそうの体系化がはかられるわけであるが,そのさい,なお門下省封駁を伴う一定の自立性を認めたのは,それが貴族によって占められてきたという歴史的沿革に加えて,彼ら貴族層とその背景に連なる広汎な与論を体制内に包摂し,政権の基盤を強固なものにしようとする配慮の結果でもあった。しかしこの機構が,一応たて前どおりに運用されたのは,唐前期までであった。統一帝国実現にみられるように,皇帝権が貴族勢力を圧するまでになっており,そののちの皇帝権の伸長,貴族の官僚化とその社会的影響力の減少によって,門下省はそのよりどころを失うことになったからである。かくて門下は中書のもとに包括されて中書門下となり,責任者も同中書門下三品,あるいは同中書門下平章事(のち同平章事と略称)と呼ばれ,これが宰相をさす肩書きとなった。一方尚書六部は,ほぼそのままでつづき,さらに六部は元・明・清の官制のなかにも受け継がれることになった。

〔参考文献〕内藤乾吉「唐の三省」『中国法制史考証』,1963