●三職 さんしょく
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太政官制成立以前の明治政府の官制。1867年(慶応3)王政復古の大号令により,摂政・関白・征夷大将軍など旧来の職を廃止し,総裁・議定・参議の三職が設置された。総裁には有栖川宮熾仁親王が就任して万機を総理して,いっさいの事務を決し,天皇輔弼の任にあたった。議定には皇族・公卿・諸侯を任じ,参与には岩倉具視ら公卿のほか,薩摩・土佐・安芸・尾張・越前の5藩から各3名を任じた。翌年1月17日三職の分課を定め,神祇・内国・外国・海陸軍・会計・刑法・制度の七科をおき,総裁のもと,議定・参与が数人ずつ各科を分担することになった。また2月3日三職八局に再編,総裁局および神祇・内国・外国・軍防・会計・刑法・制度の各事務局の八局とし,総裁局が政府全体を総括する地位におかれ,それに権限の集中がはかられた。閏4月21日に政体書が発布され,職制の大改革が行われて,太政官制となり,三職制は廃止された。最初の三職制が公卿・諸侯有力者と雄藩を代表する藩士の合議体,いわば公議政体の性格をよく示していることに比べて,三職七科制は公議政体の域を一歩ぬけだし,のちの天皇制官僚専制にいたる過渡的政府形態であったといわれる。
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