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●三条西実隆 さんじょうにしさねたか

アジア 日本 AD1455 室町時代

 1455〜1537(康正1〜天文6)室町時代後半期の公卿・文化人。三条西公保の次男として生まれ,兄の若死により家督を継ぎ,1506年(永正3)内大臣に昇進した直後致仕,1516年(平正13)落飾(法名尭空・法号耕隠・称徳号逍?院),1537年(天文6)83歳で没した。その業績はほぼ次のごとくである。[1]資性温厚篤実で後土御門・後柏原両天皇の信任厚く,かつ幕府からも信頼され,皇室経済の扶持,とくに後柏原天皇の即位費用の調達に尽力したこと。[2]宗祇や牡丹花肖柏らと交わって源氏物語などについての教養を深め,宗祇から古今伝授を受け,一条兼良亡き後は最高の文化人と仰がれ,子公条の協力を得て『源氏物語細流抄』などを著し,和学の興隆を推進したこと。[3]天性能筆でかつ根気強く,応仁の乱で散失しかけていた和漢の古典を蒐集保存し,また書写し,かつ朝儀の保持につとめたこと。[4]和歌・連歌を能くし歌集『雪玉集』『聴雪集』および歌日記『再昌草』を遺し,他面,連歌師らを介して能登守護畠山義総らの大名とその家臣また地方の土豪らから仰慕され,地方文化興隆の機運を助長したこと。なお1474年(文明6)から1536年(天文5)まで約60年にわたるその日記『実隆公記』は,この時代の史料としてきわめて貴重なものである。