●散所 さんじょ
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平安中期以降の荘園制社会の枠組みのなかで,住民が年貢など地子物の貢納を免除される代わりに,清掃・駕輿丁・運輪などの雑役をつとめたり,狩猟・漁撈・製塩などに携わって供御(くご)の所役に従い,雑色(ぞうしき)・供御人などと号して,農業生産に携わった田堵・名主とは性格を異にした領民とその特殊な居住地を,領主側で散所と呼んだ。「散所」という語の表現にこめられた意味や,散所の起源をめぐってまだ定説が得られていないが,散所の所在した地域と現今の未解放部落地区とが重なる例が多く,部落史研究上早くから注目されてきた。荘園制社会のなかですでに賤民視されている散所の民が多く,浮浪民に出自して領主に対し強い人身的隷属下に置かれていた事実から,差別の起源とそのあり方の社会史的変遷の問題について論議を呼んでいるのが現状である。ふつうには,荘園領主の家産的経済の枠組みに隷属し,その補完的機能を果たしていた非農生産者と,その住区をいう中世荘園体制下の散所をさして使われているが,史料上にみえる語としての散所は,747年(天平19)11月14日の日付をもつ正倉院文書の〈若不在寺家,探求散所〉が古く,法隆寺の寺家以外のどこか,東大寺から借用を請われている法華経疏一部の貸し出し先と解釈される“散所”がみられる。この場合の散所には,上記のような意味はまったくなく,官位制における散位・貢租賦課の対象である本田に対して貢租を免除されていた散田などの表現における「散」と,語としての共通性が窺われ,本格的なものの周辺に補完的意味を担って,付随的・散在的に所在するものをさして「散」と表現したと考えられ,その意味で「散所」の語義は,「本所」の存在を前堤とすると考えられる。