●サン=キュロット
ヨーロッパ フランス共和国 AD
フランス革命期の都市民衆。ときに貧農を含めることもある。縞入りの長ズボンをはいていたことからこのあだ名がついた。小親方・職人的労働者を中核とし,やや富裕な手工業主も含む。バスチーユ占領前後はまだ独自の政治組織をもっていなかったが,1792年8月10日の事件で,戦闘分子が蜂起しコミューンに参加。国民公会やジャコバン協会に傍聴を認められる。1793年の物価高・戦況の悪化にも敏感に対応し,運動形態も,街頭騒擾から自治区の直接民主主義行動に移る。5月31日と6月2日,武装して国民公会からジロンド派を追放したのち,生活防衛のための恐怖政治を要求。人民協会や「革命軍」によりつつ最高価格法の実施や地方当局の監視にあたる。11月の理性の祭典後,組織の統制をうけエベール派の処刑後は沈黙。テルミドール反動時にはロベスピエール・自治市会の擁護に立ち上がらなかった。1795年3,5月の食糧暴動も鎮圧され,戦闘分子が一部山岳派議員と結んでおこした1796年のバブーフの陰謀や,1800年の反ナポレオン共和派結社も弾圧された。