●参議 さんぎ
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1869年(明治2)8月15日〜1885年(明治18)12月22日太政官制の復活によって設置された明治政府の重職。1869年7月8日の職員令によって三職制が廃止され,左右大臣・大納言とともに太政官を構成したが,これは参与を継承するものであるが,官制改正が「大宝令」を踏襲して復古的様式をとったので,参議の名称を復活した。1871年(明治4)7月の廃藩置県後は太政大臣・左右大臣とともに正院を構成し,大臣を補佐して大政に参与した。西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允・板垣退助・大隈重信ら薩長土肥藩閥の代表者が任ぜられ,事実上明治政府の中心勢力となった。また,参議層が各省の卿となったので,参議が各省の長官を兼ねる慣例がおこった。その後,参議と各省の卿との分離問題がおこり,1880年(明治13)にいったん分離したが,翌年再び旧に復し,兼任することになった。1885年(明治18)太政官制の廃止によって廃官となり,三大臣制と参議制を統合再編制して,新しい内閣制度になった。〔参考文献〕「内閣官房」『内閣制度90年資料集』1975