●三月節供 さんがつせっく
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3月3日の行事。上巳の節供・桃の節供・雛祭りなどともいわれている。江戸時代には五節供の一つとして,幕府の式日に加えられていた。現在のこの日の行事は雛人形を飾って女児の成長を祝うことが中心になっているが,同時に災厄除去の願いを背景にした行事や,磯に出たり山に登って馳走を食べながら遊び暮らすことも,広く行われている。古く中国でもこの日かこの日に近い3月上巳の日を重視し,曲水の宴など水辺の行事を催したり,桃酒を飲み草餅を食べて災いを除去しようとすることが行われていた。わが国の三月節供の成立にはこれらの影響が大きいと思われるが,中国の習俗受容の根底にはわが国古来の水に対する信仰があったとされている。【雛人形】雛人形を玩具として美しく飾りたてて祝う現在のような雛祭が成立したのは,上流社会や都市部においては江戸時代のことで,農山漁村にまで広く普及したのは近代になってからである。人形(ひとがた)に息を吹きかけたり肌身をおしあてて心身の穢れを移し,水辺に流す風習はわが国に古くからあり,また平安時代には,幼児の身を守るために阿末加津(あまかつ)・這子(ほうこ)などという形代も用いられていた。『源氏物語』須磨の巻に,3月上巳の日に光源氏が陰陽師を召して祓いをさせたあとその人形を船に乗せて流したことがみえているが,当時すでに,こうした呪具としての人形が中国伝来の3月3日や上巳の行事と習合し,暦日に定着していたことを示すものであろう。そして人形もしだいに手をかけた立派なものがつくられるようになり,流さずに保存されたり贈答の品となって呪具としての性格を薄め,幼児の遊びの対象になっていったと思われる。雛祭普及後の現在でも鳥取県で行われている流し雛,すなわち雛人形で身体を撫でたりしたあと,菱餅や田螺・桃の枝などを供え白酒をかけてから3日夕方桟俵にのせて川に流し棄てることは,水辺の祓いという古い心意が今なお伝えられている行事である。この流し雛の行事は,長野県や群馬県にも伝えられている。
【山磯遊び】磯遊び・山遊びなどの野外行事も全国的に広く分布している。重箱に馳走を詰めて子供や女性が海や山へ出かけて終日遊び暮らしたり,臨時の竃を築いて煮炊きし共同飲食している。このような各地の例をみると,かつてこの日は家にいるのが忌まれる日であったらしい。長野県南佐久郡川上村のカンナベエ,同下伊那郡のサンガツバ,岩手県上閉伊郡のカマコヤキなどは子供たちが集団で川原で外竈をする行事だが,かつての水辺の祓いの心意を伝えるものであろう。沖縄地方では,蛇と契って妊娠した女性がこの日浜に降りて海砂を踏んで蛇の子を流産し事なきをえたという話を伝え,そのため日頃の穢れを除くために3月3日には浜降りをするのだという。同じく水辺の祓いという古い信仰をうかがわせる行事である。草餅を食べたり桃酒を飲むいわれとして,同じような蛇の子流産云々の昔話「蛇聟入り」を伝えている所もある。
なお,磯遊びは旧暦3月3日前後の大潮の時にする所もあり,都市部周辺ではこれが潮干狩に発展し,一方山遊びは遊楽としての花見の成立を促したと思われる。これら野外行事が雛遊びと結合した例もみられる。静岡県小笠郡大須賀町小谷田では,この日神社の横にあるヒナ山に皆で遊びに行って食をともにし,不用になった雛人形に海を見せたあとここへ納めるし,同県富士川町木島などでも,お雛様を涼みに連れて行くといって川原の土手や山で花見をする家があった。愛知県新城市大海地区では,女児が好みの雛人形と重箱に詰めた煮しめを用意し誘い合って山へ行き,「雛さま,雛さま,よく花御覧じろ」と呼び合ったという。雛壇への供え物として,桃花・菱餅・白酒などのほかに貝類を欠くべからざるものとしたり,海に遠い農山村ではかわりに田螺を供えているのも,磯遊びをした名残りかと思われる。このように各種の伝承の広範囲な分布は,3月3日が古来重要な折りめとされていた証左といえるであろう。