●山岳信仰 さんがくしんこう
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山に対する信仰の総称。山岳信仰それ自体は統一の教祖・教説・教団を有していることはない。しかし民俗宗教をはじめ諸宗教は山・山岳と密接な関係をもっており,宗教を論ずる場合には欠くことのできない信仰といえる。たとえば古代ギリシアにおいてはゼウスの神が山に祭られ,『旧約聖書』では主なる神がシナイ山に下り,モーゼに十戒をさずけたことが記されている。さらに仏教では一般にヒマラヤをモデルにしたと考えられ,世界の中心に聳える黄金の高山と説かれる須弥山があり,道教では崑崙山のほか仙人の住処でもあり仙薬のあるところとされる蓬莱山・方丈山・瀛洲山(えいしゅうざん)の3山がある。このように世界的にみても,山岳は聖なる地,世界の中心として宇宙山,諸神諸精霊が居住するところ,求道者・宗教者の修行の場所とされている。日本においても山岳は宗教のなかで重要な位置を占めており,なかでも修験道を形成させたことは特筆すべきことといえよう。【山岳信仰の原初的形態】山岳信仰の原初的形態としては一般に次の3点が指摘される。つまり,[1]秀麗な山容や火山の爆発などが人々に与える神秘観や畏怖・畏敬の念,[2]山岳が農耕生活にとって欠くことのできない水源にあたるところから,水神・水分(みくまり)の神を祭るところ,[3]山岳が死霊や祖霊の棲む他界とする観念,以上の3点である。しかしこうした観念は,主として里人たる稲作農耕民が示す原初的な観念・信仰であり,これに加えて,[4]漁民・航海民のヤマアテ(山を自分のいる位置を知るための目標物)とする観念,[5]山民の山の神信仰なども山岳信仰の原初的形態と認めてもよいと考えられる。
このうち[1]の神秘観や畏怖・畏敬の念は,富士山に代表されるごとく裾野の長いコニーデ型の山容をもつ山々が信仰の対象とされていることもその一つで,岩木山を津軽富士,榛名山を榛名富士,開聞岳を筑紫富士などと呼ぶ習俗に現れている。また火山の爆発は,恵みを与える山という観念を一変させ地獄絵が展開される。そのため噴火を山の神の怒りととらえ,山そのものを神聖視したり,神の怒りを鎮める儀礼が行われる。古代以来幾度となく大爆発をおこしている伊豆大島の三原山の場合は,島民から神山と仰がれ,噴火を“御神火”,熔岩の流れを“お流れ”,降灰を“おけぶ”というように敬語をもって呼ばれ,平素の登拝が許されなかったという。富士山・浅間山・阿蘇山なども例外ではなく,火山系の多い日本の山岳の場合には,こうした火山の爆発が人々により強烈な畏怖の念を与えてきたといえよう。
[3]の死霊・祖霊が山に集まるという観念も各種の儀礼に認められる。たとえば葬送習俗のなかでヤマユキ・サンマイ・山墓など“山”の付くことばが多いこともその一つであり,先祖祭りのたびに詣でる詣墓と死体を埋葬する埋墓(うめばか)という両墓制をとる場合,埋墓を山中に,詣墓をムラ近くに設けているところも少なくない。また正月や盆・彼岸などの祭りのたびに祖霊が里に降臨し,子孫の繁栄を守護するという観念も各地に認められるもので,門松迎え・盆花迎えなど祖霊の依り代を迎える習俗,大文字焼きに代表されるような山頂から里まで松明をつけて祖霊を送迎することも全国的に認められる習俗といえよう。さらにタケ(岳)・もり(杜)・タニ(谷)などが死霊・祖霊の集まる場所とも観念されてきた。ただし必ずしも高山であることを必要とせず,北陸地方のニソの杜,中国地方の荒神社は平地にあって樹木がうっそうと繁り普段は入ることが許されず,そうした場所が祖霊を祭るところとされている。一方死霊・祖霊が集まる山として世に広く知られた山々も多く,下北半島の恐山・山形市近郊の山寺・伊豆の日金山・伊勢の朝熊山・紀州の高野山・四国の祖谷山をはじめ列挙にいとまがない。そうした山々では岳参り・山参りと称して死後まもない期間のうちに,爪・髪・骨の一部などを持参する習俗が展開されている。しかし納骨の習俗,岳参り・山参りの習俗などは死霊・祖霊が山に集まるという観念に加えて,山岳側の布教・宣伝の力が助けとなっていることも忘れてはならない。
[2]の水神・水分の神を祭る信仰や[4]の漁民・航海民のヤマアテの習俗は,いずれも山の神信仰に集約されよう。今日山の神の性格をも生業の差によってかなり相違するものであることが明らかにされている。たとえば山の神が春に里に降臨して田の神となり,作物の成育・収穫を守護した後に山に帰って山の神となる信仰,つまり山の神と田の神の交替を示す信仰は主として農耕民の信仰であり,林業・狩猟に従事する山民あるいは漁民の示す山の神は去来伝承を伴なうことはない。また山民の山の神は恵みを与える存在であると同時に荒々しい性格を示しており厳格なタブーが要求されている。一方,山の神とは無縁のものと思われがちな漁民・航海民のあいだでも山の神信仰が認められ,陸前の金華山・隠岐の焼火山(たくびさん)・薩摩の開聞岳をはじめとして漁民・航海民の信仰を集めている山々も多い。そうした山岳は古くからヤマアテとされてきた場合が少なくなく,陸前の金華山・隠岐の焼火山・四国の象頭山(金比羅山)・薩摩の開聞岳などはその代表的なものである。和船時代に焼火山沖で難破しそうになると海中より霊火が昇り,無事に航行できたと伝えられるほか,12月31日夜は海中より出現した霊火が焼火山に昇るという。また金華山や開聞岳でも,漁民が出漁前には必ず山の神に豊漁と安全を祈っている。
【山岳信仰の展開】山岳信仰は,原始山岳信仰をもとに,仏教・道教などと習合し,また多くの山岳修行者の出現と関与によって,さまざまな展開をみせている。今日,それぞれの山岳が表出させている中心的な要素によって分類してみると,宗教的職能者の関与がほとんど認められず,より原初的な形態を示している民間信仰の山,三輸山に代表されるごとく神体山であったり神社が中心的要素となっている神社神道の山,富士山や木曽御嶽山のように扶桑教・御嶽教などの教派神道の山,仏教の山,修験道の山とに分類できよう。しかし個々の山岳が超時代的に一つのタイプに属しているのではない。熊野山が本宮・新宮・那智といういわば神道の山から出発し,仏教的要素が加わり観音補陀落浄土・阿弥陀の西方浄士とされ,さらには修験道の根本道場と変遷しているように,その時代の宗教界全体のあり方に影響されている。その意味では,古代以来の神仏習合思想によって,多少の差はあれ,どの山岳においても仏教的要素・神道的要素が認められ,中世の宗教界にあって優越していた修験道の影響を受けなかった山はほとんどないと称しても過言ではない。いずれにしても今日にみる山岳信仰の中心的要素は,俗的権威が宗教的権威を圧倒した江戸幕府の宗教政策と,明治初年の神道の昂揚をはかった神仏分離政策・修験道廃止政策などによるところが大である。
一方山岳に対する人間の行動によって分類すると,入山することはせず山麓部や平地に祭られる里宮や?拝殿から山岳を遥拝するタイプ,山頂や山中の社寺仏閣に登拝するタイプ,山中に籠ったりトソウ※注1※するタイプの三つに分類されよう。このうち?拝型・登拝型は一般庶民の行動様式であり,籠りトソウ※注1※,いわば練行型は宗教的職能者の行動様式といえる。つまり,里人にとって山岳は容易に分け入ることの出来ない異界・異郷であり,そうした世界は逆に宗教的職能者にとって自らの霊的能力をたかめる修行の場であるというのが本来的姿であったと思われ,各地の山岳の縁起類が伝える開山・中興の祖が,仙人型・狩人型・修行僧型に分類できるのもその現れといえよう。しかし山岳修行者たちの組織化と定着,山中における社寺仏閣の造営などによって登拝型がもたらされたのである。しかし修行のさまたげとなる女人の登拝を禁止する女人禁制は近代にいたるまで多くの山々で守られてきたが,今日では少なくなった。
〔参考文献〕堀一郎「山と信仰」国学院大学日本文化研究所紀要12,1963,
池上広正「山岳信仰の諸形態」人類科学12,1960,
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