●山窩 さんか
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山間を生活の場として漂泊する人々で,ミツクリ・ミナオシ・オゲ・ノアイ・ポンなどといわれていた。西は九州地方から東は関東地方にも分布していたが,近代にはその存在がつきとめがたくなった。彼らは川魚を獲ったり,細工物にも長じ,箕や下駄・竹篭などをつくって売り歩く姿がみられた。彼らは夏は北,冬は南にと移動する傾向もあった。仮小屋や天幕を張って暮らすこともあった。住居をセブリというのが彼らのことばであったが,そのほか仲間だけの隠語サンショコトバをもっているなど,生活条件が一般農漁民と大いに異なっていたので,その生活の特異性と漂泊性が農民主軸の社会では異質にみえたため,軽侮や畏怖をうけがちだった。傀儡子(くぐつ)など漂泊の芸能民は山窩の類からおこったと思われるが,中世末から近世に河原者といって,芸能者・芝居者をさすふうがあったのも彼ら傀儡子の河原との縁による。