●早良親王 さわらしんのう
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?〜785(?〜延暦4)光仁天皇の第2皇子。母は高野新笠。桓武天皇の同母弟。桓武天皇の即位で東宮となったが,藤原種継事件に連座したため,淡路へ流されることとなり,途中絶食して死去した。そのため,安殿親王(平城天皇)へ祟りをなすと考えられ,その怨霊の祟りを恐れて,崇道天皇と追号された。京都の御霊神社の祭神としている。その経過を年代的に示すと,784年(延暦4)9月藤原種継が暗殺されると,早良親王は皇太子を廃され,789年(延暦8)皇太后高野新笠(百済の豪族和氏)が死去した。そのあと789年,790年には皇后乙牟編の死や皇太子安殿親王の病がおきたため,それを桓武天皇は早良親王の怨霊と考え,高野新笠の根拠地に近い長岡遷都を恐れ,ここをすててほかへ移そうと考えるにいたった。その後も797年(延暦16)怪異がおき,禁中ならびに東宮では金剛般若経を転読し,ついで僧二人を淡路に遣わして転読悔過して早良親王の霊を慰めている。800年には崇道天皇とおくり名して,墳墓を大和国添山郡八島陵に改葬された。