●サラエボ
ヨーロッパ ボスニア・ヘルツェゴビナ AD
ユーゴスラヴィア連邦のボスニア=ヘルツェゴヴィナの首都である。ここで1914年6月28日に「サラエボ事件」がおき,第一次世界大戦の発火点となった。ボスニア地方は1871年にオーストリア=ハンガリー帝国の支配下に入っていたが,帝国の王位継承者フランツ=フェルディナント大公は,ボスニアでの軍事演習の帰途,妃のゾフィーとともにサラエボを訪れ,二人とも殺害された。大セルビア主義にたつ民族主義者の青年によるもので,この青年の背景にはテロリストの組織「黒い手」があった。オーストリア政府は,この事件をセルビアの責任として,事件の正確な調査・関係者の厳しい処罰などを要求,セルビアでの調査を求めて拒否されるに及んで最後通牒・宣戦布告とつづき,2国のあいだで戦端が開かれ,それが急速にヨーロッパ全体の戦争へと発展した。