50音順    検 索

●サマルカンド

AD 

 ソ連トルキスタン,ウズベク共和国の都市。ザラフシャン川流域の主要都市として太古から著名であり,ダレイオス大王の碑文にしばしば現れるスグダは,ソグド地方の中心都市であるこの町を示したものと思われる。ついでアレクサンドロス東征のころは,マラカンダの名で知られた。とくに隋・唐時代には「康国」の名で知られ,昭武姓のソグド地方の盟主として著名であった。712年,サマルカンドはアラブのホラーサーン総督クタイバ=ビン=ムスリムに占領された。しかしクタイバの死(715)後,この地方は突騎施の蘇禄可汗の支配下となり,最終的にイスラームの勢力下に入ったのは,739年新位のホラーサーン総督ナスル=イブン=サイヤールの征服後であった。9〜10世紀にはイラン系イスラーム政権サーマーン朝のもとに繁栄し,そののち,カラ=ハン朝西遼ホラズム=シャー朝の支配下にあり,しだいにトルコ化し,イスラーム文化と東西中継交易の中心地となった。1220年,モンゴル軍によって攻略され,やや衰えたが,14世紀の後半,ティムール朝の都となり,大いに繁栄した。こんにち残るシャー=イ=ジンダ・ビビー=ハニーム廟・グール=イ=ミール廟などは当時の繁栄を物語っている。16世紀の初め以来,ボハラ=ハン国の所領となり,19世紀中ごろロシアに占領された。1925年,ウズベク共和国の首都となり,1930年に首都はタシケントへ移され,現在は農業・綿花・織物業などの地域中心として発展している。

【おもな遺跡】サマルカンドのおもな遺跡としては,次のようなものがある。[1]シャー=イ=ジンダ:アフラシャブ南端にある廟群。ティムール朝以前の聖墓群とティムールの乳母,その娘,ティムールの妹,天文学者らの廟が合体し,廟群の完成はウルグ=ベク時代といわれる。[2]アフラシャブ:モンゴル軍に破壊された古代サマルカンドの廃墟。四方けわしい崖に取りまかれた断崖上にあり,縁辺にかつての城壁の名残りとみられる土塁がある。台地上に1424年に建てられたウルグ=ベクの天文台がある。[3]ビビー=ハニーム廟:1398年インド遠征から帰ったティムールの命によって作られた中央モスク。1985年現在修復中だが,かつて23平方mの基壇の上に高さ16.6mの四角柱がたち,その上に18.4平方m,高さ5.5mの第2層,その上に外経18mの円筒,さらにその上に高さ6mの青いドームがあり,地面から現存する円蓋の頂部まで37mあった。[4]グール=イ=ミール廟:1403,04年,ティムールがイランで戦死した孫のムハンマド=スルタンを記念して建てられた廟。ティムール自身も1405年オトラルで没したので,ここに葬られ,その後シャー=ルフウルグ=ベクの墓もここにつくられた。期せずしてティムール一族の墓廟となったわけである。1942年,ソ連の考古学者が発掘し,伝承通りティムールは足が不自由で,ウルグ=ベクは首を切られていると判明した。[5]レギスタン:アフラシャブの南西方,商業地区の中心にあった三つのメドレッセの総称。レギスタンとは砂場の意。もと灌漑水路脇の砂地であった。ここに1420年完成のウルグ=ベクのメドレッセ(イスラーム神学校),1646,47年当時の封建領主やヤラングトゥシュ=バハドゥルの建てたシル=ドル(ライオンをもつもの)のメドレッセ,ティリャ=カリ(鍍金された)のメドレッセの三つのメドレッセが並びたち,封建期の西アジアにおける最も優れた建築アンサンブルといわれる。これらの建造物はティムール朝の栄華とサマルカンドの栄光をよく示している。