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●左兵衛府 さひょうえふ

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 古代律令制で,天皇の親衛軍として平安宮内裏の警備を担当した左右二つの兵衛府のうち,東方の宣陽門(または建春門)に配備されたものを左兵衛府という(兵衛府の任務については右兵衛府の項を参照)。左右兵衛府は,兵衛と呼ばれる兵士により構成されていた。この兵衛は,少領以上の郡司の子弟または内六位以下八位以上の者の嫡子,つまり中央・地方の支配層の子弟から選ばれた身体強健で、弓馬の術にたけた21歳以上の者から構成されており,定員は左右それぞれ400人だった。大化以前の舎人(とねり)に相当する兵力で,天皇の信頼も厚かった。職員構成は,長官は兵衛督(ひょうえのかみ)といい左右各一人,判官は兵衛尉(ひょうえのじょう)といい左右各一人で大・小あり,次官は兵衛佐(ひょうえのすけ)といい左右各一人で正・権(ごん)あり,ほかに兵衛志(ひょうえのさかん)も左右各一人。

【左兵衛陣】左兵衛府の置かれた平安富内裏の東面内郭の宣陽内(または外部の建春門)を左兵衛陣と呼ぶ。