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●佐藤信淵 さとうのぶひろ

アジア 日本 AD1769 江戸時代

 1769〜1850(明和6〜嘉永3)通称は百祐,字は元海,号は松庵・万松斎・融斎・椿園など。今では“しんえん”と便宜上,音読みすることが多い。江戸時代後期の農政学者・国学者。出羽国雄勝郡郡山村(現,秋田県雄勝郡羽後町)に生まれる。父は信季(号は玄明窩),母は貞静(蒲生氏)。妻は,はじめ笹原氏,のち渡辺氏。4男10女を生む。佐藤家は,信邦(観庵)・信栄(元庵)・信景(不昧軒)・信季と代々,医学・農政学を家学として伝え,信淵も幼少時からこれを学ぶ。1783年に宇田川玄随に入門,蘭学を学ぶ。また井上仲・木村泰蔵より天文・地理・暦学・測量などを学ぶ。1815年,平田篤胤に入門。同年,吉川源十郎にも入門,吉川神道を学ぶ。1832年,渡辺崋山に入門。1871年,信季にしたがって蝦夷地(北海道)に旅行したのをはじめとして,北は宗谷から南は鹿児島まで全国各地を何度も視察した。1783年,信季が秋田藩政批判の罪で捕えられようとして,ともに郷里から逃亡。1816年,吉川家に神道講談所を設立するために資金調達を計り,幕府によって江戸払い。1832年,江戸潜伏の罪により江戸十里四方追放,しかし江戸に隠れ家を設けて出入。1846年,赦免。この間,津山・一宮・徳島・秋田・綾部など諸藩に招かれて藩政立直しを献策。信淵は,本草・農政・鉱山・海防・兵学など多方面の著述を行ったが,とくに天皇のもとに3台6府72営の中央機関と8省14府78州の地方機関を置き,人民すべてを各機関に所属させて,生産を国家管理する絶対主義的な国家構想を立案したことは著名。主著は,『経済要録』『農政本論』『草木六部耕種法』『天柱記』『復古法概言』『混同秘策』など。