●薩摩 さつま
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鹿児島県の西半分,北は峻嶺をもって肥後・日向に界し,東は大隅に接し鹿児島湾をもって距て,西と南は東支那海に臨む。薩摩国の名称の初見は『続日本紀』709年(和銅2)6月であるが,同書702年(大宝2)8月の条〈薩摩・多シュウ※注1※化ヲ隔テ命ニ逆フ。是ニ於テ兵ヲ発シテ征討シ,遂ニ戸ヲ校へ吏ヲ置ク〉,4月の条「筑紫七国」の記事により律令制定の翌702年であろう。記紀には大隅と対称して阿多と呼ばれ,律令制により薩摩郡に国府が置かれ薩摩国を多用するようになった。『律書残篇』『和名類聚抄』などにより奈良時代以後は出水・高城・薩摩・甑島・日置・伊作・阿多・河辺・頴娃・揖宿・給黎(きいれ)・谿山・鹿児島の13郡,藩政期は伊作郡が消え伊佐が現れてやはり13郡,1889年(明治22)以後は出水・薩摩・日置・川辺・揖宿・鹿児島の7郡となり現在は鹿児島・出水・阿久根・川内・串木野・加世田・枕崎・指宿の7市がある。
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