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●札幌 さっぽろ

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 北海道中央部に広がる石狩平野の南西部に位置する北海道最大の都市。このため,北海道庁・同石狩支庁のほか,北海道開発局など国の出先機関が集中し,また民間企業の支店も多い。市の面積は1,118.01平方km,人口152万5,894人,世帯数57万0,031(1984年,昭和59年11月現在)で,人口は全国で第5位にあたる。札幌とはアイヌ語で〈乾いた大きいところ〉の意であるが,市内の中心部を貫流する豊平川によって形成された札幌扇状地に,札幌市街の建設が開始されたのは明治初年のことである。すなわち,北海道開拓事業の重要性を認識した明治政府は,その専掌機関として1869年(明治2)開拓使を設置し,また蝦夷地を北海道と改称した。同年11月,開拓使は北海道経営の拠点となる札幌本府の建設に着手した。その指揮をとった開拓判官島義勇の構想によれば,本府の市街を大通りで南北に分け,石狩湾に通じる運河,創成川で東西に分けるという,京都に似た碁盤状の都市であった。そして,大通り以北を官庁街,以南を商店街とする現在の市街構成も,このときに決定されている。1871年,島判官の後を受けた岩村通俊判官は,道路工事や市街の測量・区画,開拓使庁舎や官邸の建設を継続するとともに,移住民の招来をはかった。この結果,1870年9戸,13人にすぎなかった札幌の本籍人口は,翌1871年211戸,637人となってやや市街の体裁をなし,開拓使本庁も同年函館から移った。以後札幌には,1882年の開拓使廃止・3県設置に際しては札幌県庁が,1886年の3県廃止・北海道庁設置に際しては道庁本庁が置かれ,終始道内での行政上の中枢地として着実に発展していった。1899年には函館・小樽とともに区制を実施し,1922年(大正11)には市制が施行された。当時の札幌は,面積約24平方km,人口12万7,044人,戸数2万2,915戸であった。このころより,札幌の居住者が増加し,大正末期に小樽を,1940年(昭和15)には函館を抜いて道内最大の都市となった。そして,敗戦直後約22万人弱の人口は昭和30年代以降の高度経済成長過程のなかで道内の炭鉱離職者や離農者を吸収したことで急激に膨張,1970年の国勢調査で人口101万0,123人となり,国内8番目の百万都市となった。そして,第11回冬季オリンピック札幌大会の開催された1972年,川崎・福岡の両市とともに政令指定都市に移行した。こうした人口の増加は,道内の政治的中心地としての札幌が,経済的にも函館・小樽・旭川を凌駕する要因となり,敗戦後はその傾向がとくに著しい。現在の札幌は,政治・経済・文化・社会いずれの面からも全道を影響圏とする地位を占めているが,こうした事実に着目して,本州民間企業も多数進出し,“札チョン族”と呼ばれる単身赴任のサラリーマンが多いのが特徴である。