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●札幌農学校 さっぽろのうがっこう

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 北海道開拓の人材を養成する目的で開拓使のもとにつくられた高等教育機関。現在の北海道大学の前身。最初は開拓使仮学校として1872年(明治5)東京芝増上寺内に設立された。1875年7月に札幌学校と改称,同年8月に札幌に移った。札幌農学校と改称するのは翌1876年8月のことである。農学校という名称ではあるが,農学のほかに地質学・測量学・土木工学など,北海道の開拓を進める上で必要とされる分野の講義も開講された。また,英語や心理学なども開講され,幅広い知見をもつ人材の育成がめざされていた。札幌農学校の基礎を築いたのはウィリアム=スミス=クラークである。マサチューセッツ州立農科大学長としての地位にあったクラークは,札幌には約8カ月とどまっただけであった。しかし,農学校の教頭として(校長は開拓使の役人調所広丈)学校経営にあたるほか,自ら植物学や英文学を教授した。また,クラーク自身は熱心なクリスチャンであったが,生徒の教育には徳育を重視し,授業に聖書も使用し,キリスト教精神を軸とした人格形成をはかった。優れた学者であり,教育者であったクラークの生徒たちに与えた影響は大きく,多くの逸材が育った。そのなかには2期生の内村鑑三新渡戸稲造ら著名なキリスト教徒も生まれた(ただし,クラークは2期生に対して直接教授はしていない)。クラークが札幌を去るにあたって生徒たちに残した〈ボーイズ=ビー=アンビシャス〉ということばはクラーク自身の人生観をよく示しており,また開拓者精神を象徴するものとしてよく知られている。札幌農学校は,開拓使が廃止されて3県1局時代・道庁時代へと推移するとともに,所管も変わる。そして1895年に文部省の管轄に入った。農学校は当初は農学科のみであったが1887年に工学科が設置されるなど,しだいに充実がはかられ,1907年には東北帝国大学農科大学となり,さらに1918年(大正7)北海道帝国大学となり,1949年(昭和24)新制の北海道大学となった。農学校時代からの寄宿舎は1907年に恵迪(けいてき)寮と命名され,その寮歌「都ぞ弥生」は広く知られている。

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