●雑訴決断所 ざっそけつだんしょ
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建武政府が地頭・御家人層の所領訴訟を裁断することを目的として,1333年(元弘3・正慶2)9月ごろ京都大内裏郁芳門の付近に設けた訴訟機関。はじめ四番制であったが,のちには八番制107名の職員で構成されていた。職員は上流廷臣・中流廷臣・下流廷臣・武家関係者などの出身者で構成され,そのなかには楠木正成・高師直・名和長年などの武士も入っていた。各番にはそれぞれ1名の頭人が配置されており,職員のなかから20名の者が伝奏(でんそう)に任じられていた。雑訴決断所の判決は各番の評定をへた上で,牒または下文の形式で発給された。所領相論の裁許以外にも所領安堵・給旨の施行・訴訟進行のための手続きなども取り扱っている。このように雑訴決断所は建武政府のなかで,広般な権限を有する重要機関として整備されたが,後醍醐天皇はその独走を許さず,伝奏を通じて掌握していた。しかし1335年(建武2)11月の足利尊氏の挙兵により,わずか2年間でその活動は停止した。〔参考文献〕森茂暁『南北朝期公武関係史の研究』1984,文献出版