●サーダバード条約 サーダバードじょうやく
アジア トルコ共和国 AD1937 トルコ共和国
1937年トルコ・イラン・イラク・アフガニスタンの4カ国が結んだ相互不可侵条約。「中東の平和を確保するための4カ国条約」が正式名。サーダバードは条約が結ばれたテヘランの離宮の名。第一次世界大戦後,ソ連は民族解放運動を支援しつつ,反英運動の高まった中東諸国への影響力を強化した。イランとは1921年友好条約を結び帝政時代の利権を放棄,トルコに対してはケマル=パシャのトルコ解放運動を支援,1925年中立不可侵条約を結んだ。しかしトルコやイランでは共産党の勢力拡大は警戒され,これに厳しい弾圧を加えた。1930年後半からドイツ・イタリアなど全体主義国家は自由主義国家の植民地・半植民地への攻勢を強めた。イタリアは紅海を経由してエチオピア侵略を進め,ドイツはトルコ・イラン・アフガニスタンに経済的進出をはかった。こうしたなかで中東諸国は全体主義・自由主義・社会主義勢力の対立から,自国の中立と安全をはかるため相互の協調をはかることとなった。1935年トルコ・イラン・イラクのあいだに条約締結の同意ができ,1937年アフガニスタンの参加を得て,テヘラン郊外のサーダバードで不可侵友好条約(サーダバード条約)が締結された。主要条項は国境保全・共通利害の商議・領土の不可侵などを定めており,条約の有効期間は5年とされた。当時はスンナ派とシーア派の和解,パン=イスラミズムの復活などの評価を受けたが,第一次世界大戦後の中東諸国の反英親ソの方向が西欧協調へ転じていくことを示す一つの指標ともされる。