●坐禅 ざぜん
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【坐禅の歴史】インドでは,古くから精神統一と苦悩解脱の方法として用いられた。釈迦も,坐禅観法して真理を悟り仏陀となった。以後,原始仏教から三学(戒律・禅定・智慧)や,六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)という修行項目には,必ず禅定が取り入れられた。また安世高(170ごろ)訳『安般守意経』の安般は,数息観による禅定であり,その後に鳩摩羅什(344〜413)訳『坐禅三昧經』とか,仏陀跋陀羅(359〜429)訳『達摩多羅禅經』など一連の禅観諸経典が,インドから中国へ伝承されている。小乗禅と呼ばれたものである。これに対し,菩提達摩が,5世紀ごろに禅法を伝えてから大乗禅が盛んになった。達摩は壁観婆羅門ともいわれたように,洞窟の壁に面してもっぱら坐禅を修道の中心とした。托鉢のため外出するほかは,夜間でも三分して中夜に横臥する以外,初夜にも後夜にも坐禅をした。このような修行集団を禅宗といったが,後世道元が『正法眼蔵弁道話』のなかで,〈いまのよには,坐のことばを簡して,ただ禅宗なり〉といったように,初めは坐禅宗と称されていた。しかし唐・宋代に,禅宗が中国仏教を風靡するようになると,圭峰宗密(780〜841)らは『禅源諸詮集都序』において,坐禅を外道禅・凡夫禅・小乗禅・大乗禅・最上乗禅に分けた。達摩の禅法を最上乗禅にあて,これを如来清浄禅・一行三昧・真如三昧とも称してから,坐禅に関し多くの著述がなされるようになった。【坐禅の道場と規矩】禅宗が僧侶集団を形成して,坐禅修行に励んだのは大鑑慧能(638〜713)以降とされる。具体的な坐禅作法から,修行場における規矩を定めたのは百丈懐海(749〜814)である。しかしこれは散逸し,そのあとは『禅苑清規』(1303成立)に付された『坐禅儀』がある。坐禅修行は精神爽利・寂然清楽を得ることと強調し,〈無磯清浄の慧,皆禅定に依りて生ず〉とある。坐禅を悟りのための手段とみる習禅であると評した。さらに大慧宗杲(だいえそうこう,1089〜1163)が,臨済宗に属し公案禅を進め一派をなしたのに対し,宏智正覚(わんししょうかく,1091〜1157)は,坐禅を公案解明の手段とはせず,坐禅した姿を坐仏とみて黙照禅と称して『坐禅箴』を撰述し,一派をなした。日本においては,永平道元が宏智を推賞し,自らも『正法眼蔵坐禅箴』を編んで和した。そして中国で禅門における根本道場である僧堂の構格を学んだ。〈日本の坐禅の規矩は道元禅師を始めとなす〉と,臨済宗の無着道忠が『禅林象器箋』に記したように,これを写し,初めて僧堂を京都深草の興聖寺に開創したのは1253年(嘉禎1)である。『辨道法』や『普勧坐禅儀』を撰述し,僧堂における起居動作,ことに坐禅の仕方を規定した。僧堂は,修行僧が坐禅・食事・臥眠する堂宇である。大きさによって8・12・16・20版の別はあるが,長連牀という畳を敷いた牀(ゆか)が長く連なっており,床から約48.5cmの高さの台に,一人について畳1枚と浄椽と呼ぶ目なし框(かまち)がついた約1.12mの奥行きの場が与えられる。後方に函櫃(かんき)と呼ぶ戸柵をおき,その上段に袈裟文庫と鉢盂(食器),下段に寝具を納める。この坐牀を單(たん)という。堂宇の中央には文珠菩薩を祭り,これが修行僧の生活の場となる。体日と特定の行事の日を除き毎日黄昏(午後8時)・後夜(午前2時)・早晨(午前10時)・哺時(午後4時)の,いわゆる四時の坐禅が行われる。したがって出家修行者の坐禅は,ここにいう單の上に,直接あるいは蒲団を敷き,その上に坐蒲という直径34cmで綿やパンヤを入れた円形の敷物を,尻の下に当て脊椎骨を真下から支えるようにして座る。ただし必ずしも坐蒲を用いなくても,半円形のものや,普通の座蒲団を折り畳んで使うこともある。僧堂で坐禅を行うときは,それぞれ合図の鐘で知らされる。開始のときは止静鐘(しじょうしょう)という小さい鐘を三声する。長い時間坐禅するときは,中間に経行(きんひん)という,曹洞宗では單を降りて堂内を緩歩,臨済宗では駈足をするが,その時は二声する。坐禅が終わるときは一声のみで,これを抽解鐘(ちゅうかいしょう)という。同じ禅宗でも,曹洞宗は壁にむかう面壁,臨済宗は互いにむかいあって座る対坐の違いがある。そのほか,堂内は静寂を保ち,出入りについても厳しい規則が定められている。
【坐禅の仕方】坐禅の仕方は,調身・調心・調息・致心を肝要とする。まず坐禅には,完全に両足を組み合わせて坐る結跏趺坐(けっかふざ)と,片足を反対の股の上に上げるだけの半跏(はんか)趺坐とがある。道元の『普勧坐禅儀』によると,〈結跏趺坐は,まず右の足を以て左のモモ※注1※の上に安し,左の足を右のモモ※注1※の上に安ず。半跏趺坐は,ただ左の足を以て右のモモ※注1※を圧すなり〉としている。ただしこれは降魔坐といい,左足を右モモ?陛の上にし,その上に右の趺(足の甲)を乗せるときは,吉祥坐という。手は,まず右手のひらを仰むけて組んだ左足の上に置き,その上に左手のひらを仰むけて重ね,両手の親指を相対して支えあうようにする。これを法界定印(ほっかいじょういん)と呼び,一種の印相を結ぶ。こうして身体を整え左右前後に傾くことなく端坐するには,耳と肩・鼻とへそとが上下一直線に位置するようにする。舌は上あごにつけ,唇と歯は上下をつけて口は自然の形で閉じ,目は大きからず細からずつねに開けておく。坐禅は調身を第1とし,次に調息が重視され〈鼻息微かに通じ〉という。長息は,長いまま短息は短いにまかせ静かに呼吸する。このように〈身相すでに調えて,欠気(かんき)一息し,左右搖振して,兀兀(ごっごっ)として坐定して,箇の不思量底を思量せよ。不思量底如何んが思量せん。非思量,これすなわち坐禅の要術なり〉といわれる。坐禅において調心するには,深く息を吐き出し,大きく体を左右に振り,だんだん小さくして落ち着け,おこってくる想念を追いまわすことをせず,さればといって無念無想ということばにまどわされて枯木死灰の如きをいうのでなく,思い・はからいがありながら,思量にわずらわされない心境を,非思量とも致心ともいうのであり,坐禅をすること,その姿が安楽の法門とされる。ただ臨済禅は,参究(参禅して仏法を究めること)すべき課題ともいうべき公案が与えられ,公案禅とも呼ばれる。曹洞禅は只管打坐(しかんたざ)といい,黙然としてひたすら坐禅することが目的そのものであるとしている。これを修証不二とか本証妙修と称し,坐禅を証悟のための手段とはみなさないという点で特色がある。ただし曹洞禅でも,ケイザンジョウキン※注4※撰『三根坐禅説』では,人の機根・才能・性格によって,上根・中根・下根に分け,それぞれ坐禅の仕方に別を設けている。なかでも中根の坐禅は〈あるいは一則の公案を提撕(ていせい)して,双眼を鼻端に注ぐ〉としている。近来,坐禅の実修における脳波・脈搏・呼吸などについて,科学的測定による実証研究もなされ,また西欧における坐禅実修も急速に増大しつつあり,坐禅中の身心の状態の,心理学的究明も成果をあげている。ただし坐禅中における異常感覚・精神錯乱については,すでにケイザンジョウキン※注4※が1325年(正中2)に撰述した『坐禅用心記』のなかで,〈種種の奇特,種種の異相は,ことごとくこれ念息不調の病なり〉とし,坐禅中におこりうる異常現象を掲げ,これをいさめている。
〔参考文献〕櫻井秀雄『普勧坐禅儀参究の資料について』傘松No49,1974
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