●鎖国 さこく
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寛永期(1630年代)に形成された,幕府によって対外関係が極端に規制された状態をいう。キリスト教の禁止と幕府による貿易の統制が鎖国形成のおもな要因と考えられている。鎖国制が成立したことにより,これ以後は対馬藩による朝鮮との貿易,薩摩藩支配下の琉球における中国への進貢貿易という特例を除いて,外国との通交は長崎1港で相手国もオランダ・中国に限るという形になった。【鎖国の成立】鎖国は直接的には1633年(寛永10)から1639年までの5次にわたる長崎奉行への老中奉書によって実現された。それぞれの内容は,1633年令では奉書船以外の海外渡航の禁止,1634年令では海外往来通商の制限,1635年令では日本人海外渡航帰国の禁止,1636年令では貿易に関係のないポルトガル人の追放,1639年令ではポルトガル人の来航禁止が規定されている。朱印船貿易以来の日本人の海外渡航と,ポルトガル人の来航禁止が一気に実現されたのである。
【キリスト教禁止と貿易統制】しかしこの背景には,秀吉の宣教師追放令以後のキリスト教禁止の流れと,貿易統制の問題がある。徳川幕府は最初キリスト教を黙認していたが,1609年(慶長14)のマードレ=デ=デウス号事件後の岡本大八・有馬晴信の贈収賄事件を契機として,1612年最初の禁教令を発し,これ以後国内信徒の弾圧と外国船取締まりを厳しくしていった。鎖国成立後は,国内的には寺請制度と宗門人別帳の作成によって幕藩権力による全人民把握の体制に転化した。貿易については,1604年(慶長9)糸割符制を施行し,ポルトガル人のもたらす生糸の糸割符商人による一括購入と,3カ所(のち5カ所)の特権商人への生糸配分体制をつくった。また1616年(元和2)には中国船以外の外国船の入港地を平戸・長崎に限定し,1631年(寛永8)には奉書船制度がつくられた。これによって主要都市の有力商人の組織化と,西南大名の戦国期以来の貿易を規制し,幕府権力の集中強化をはかったのである。
〔参考文献〕朝尾直弘「鎖国」『日本の歴史』17,1973,小学館
中田易直『近世対外関係史の研究』1984,吉川弘文館
中村質「島原の乱と鎖国」講座日本歴史,1975,岩波書店