●佐倉惣五郎 さくらそうごろう
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佐倉領の義民として宗言霊堂に祭られており,日本の代表的義民とされている人物である。本名は木内惣五郎といい,佐倉領の印旛郡公津村(こうずむら)の有力農民で,26石余の田畑をもっていたが,1653年(承応2)に刑死し,子供4人も同時に殺された,ということが確かめられた史実のすべてである。ところが当時の領主堀田正信が奇行によって改易になったことから,惣五郎伝承が針小棒大に語られるようになり,やがて『地蔵堂通夜(つや)物語』という小説が書かれて,将軍に直訴した義民とされるようになった。堀田正信の弟の子孫が再び佐倉の領主となり,惣五郎を手厚く祭り,将軍直訴を公認したことが,彼を有名な義民にした背景といえる。幕末嘉永年間に「東山桜荘子(ひがしやまさくらぞうし)」という外題で,歌舞伎上演されるに及んで,その名は全国的に広まるようになった。現在でも「佐倉義民伝」という外題の歌舞伎となっている。
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