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●作神 さくがみ

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 農作物,とくに稲作の神。作の神という名称は全国で聞かれるが,そのなかで作神と呼ぶのは中部地方から近畿にかけての日本の中央部に分布している。それに対して農神(のうがみ)という名称は東北地方に濃く,また野神(のがみ)は四国・近畿に分布している。それらと同系の田の神という名称はほとんど全国的だが,関東から東北と南九州に多い。作神にはこうした実質的な名称とは異なって,農耕の儀礼の期日や行事による名称がある。東日本では旧暦10月10日の夜をトオカンヤといって作物の収穫祭とし,その神を十日ン夜様というのに対して,西日本では旧暦10月の亥の日を収穫祭として,その神を亥の子神という。宮崎などでは春秋2度の社日には社日講をして社日様の掛絵をかけて豊作を祈る。旧暦11月の子の日・丑の日に大根と稲穂を祭るのは北九州で,ここではその神を子の日様・丑の日様と呼んでいる。中国・四国ではサオリ・サノボリなどの田植儀礼の神をサンバイサマ・ソートクサマというのも同様な呼び方である。もう一つの作神としては家の神や屋敷神を作神とするものである。地神を作神とするのは栃木県や福島県に多く,龍神をオカマサマといって作神とする例は関東地方に多く,恵比須・大黒を作神とする例も全国的に広く分布している。作神の名称がこのように多種多様であるのは,農耕が生活の中心となってきたことによるものである。

【作神の神態】作神の姿はいろいろみられるが,まず作物そのもの,とくに稲穂を神とするのは神態としても古態であろう。北九州で盛んな旧暦11月の子の日祭では畑から引いてきた大根を神とし,また丑の日祭では田から刈ってきた稲穂を神として家に迎え,供え物をして祭る。能登のアエノコトもだいぶ似た形である。作神というより作物神というべきだろう。次は長野県や新潟県で旧暦10月10日をカカシアゲといって案山子を田から家に持ち帰って作神として祭るもので,案山子は山から家をへて田に去来する神とされるのである。次は田の神石像を刻んで祭るもので鹿児島県と宮崎県の一部にみられる。鍬や飯杓子などをもった人像を田のほとりに立てたり,家のなかに置くものもある。18世紀に入ってつくられはじめたものである。この地方には田の神石像以前に,自然石を田畑の畦に立てて祭る例もみられた。次は来訪する作神で,青年や子供たちが作神となって祭りの家々を訪れるもの。鹿児島県喜入町生見では旧暦10月の亥の日にはトッノカン(斎の神・時の神)と呼ぶ子供組の者が家々を訪れる。家々ではとくに用意しておいた餅を贈り,豊作であったことを感謝する。トッノカンという名の通り子供たちが作神となって家々を訪れ祝福するのである。奄美の徳之島ではタネオロシといって稲種を蒔いた日の夜に青年や子供が変装して家々を訪れて餅をもらうのも同様に作神の来訪である。これらの来訪する作神も神懸としては古風を残しているものである。

【作神の去来】作神は農耕初めに田畑に来て,農耕を終わると田畑を去るものと考えられている。古くは農作業の一つ一つに作神が去来するものと考えられた。そのよい例が田植前のサオリ・田植後のサノボリである。これらはそのことばの通りにサの神の下りて来,上って去る祭りである。しかし一般的には稲作を中心にしてその始まりと終わりとに来りて去るというものが多い。たとえば亥の日は秋10月だけでなく春2月にも行われ,亥の日神は2月に田畑に下り,10月に田畑を去って天に帰るとされる。同様に大隅半島の田の神は2月丑の日に山から田に下り,11月丑の日に田から山に上るとされる。このように作神は山または天と田畑のあいだを1年に1度去来するという伝承が多いのだが,さらに作神はアエノコトにみるように山と田とのあいだに家が入って,11月には田から家へさらに山へと帰り,2月には山から家へさらに田へと来るという複雑な去来伝承が成立しているのである。

〔参考文献〕伊藤幹治『稲作儀礼の研究』1974,而立書房

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