50音順    検 索

●佐賀藩大砲製造所 さがはんたいほうせいぞうしょ

アジア 日本 AD 

 幕末佐賀藩に設けられた大銃鋳立所(城下の築地),のちに幕命による公儀石火矢鋳立所(城下の多布施)もつくられた。佐賀藩が鉄製砲の鋳造に成功したのは,従来の高炉より効率よく大量に製錬できる冶金炉である反射炉を築造できたからである。オランダの技術書を杉谷雍介が訳し,伊豆の江川太郎左衛門英龍の塾から長谷川刑部を招き,1850年(嘉永3)から着手し苦心のすえ完成,1853年には幕命によって鋳砲するまでになった。1855年(安政2)英龍が病没,その子英敏の求めで幕命が下り,1857年から佐賀藩士の杉谷らが応援に出張し,約1年がかりで韮山の反射炉を完成した。この江川塾との技術交流は注目される。韮山の反射炉は現存するが,佐賀落の反射炉は両所ともに跡形もない。杉谷はその苦心したところを『銕熕略記』(1852)としてまとめた。

〔参考文献〕秀島成忠編『佐賀藩銃砲沿革史』