●相模 さがみ
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古代より近世にいたる国名。今日の神奈川県の西方大半と,東京都に属する三多摩地方を含んでいた。記録によれば,ヤマトタケルの東征伝説に「あづま」として初めてみえる,足柄峠以東の一帯をさし,さがむ(相武)と呼ばれた地域の後身。律令体制下では東海道に属する上国で足立・足下・餘緩・大住・愛甲・高座・鎌倉・御浦の古郡があった。国府は3遷したといわれ,平安時代には現在の大磯町国府付近にあったらしい。1180年(治承4)の源頼朝の挙兵に,大庭・三浦・中村・土肥・波多野などの武士が源平二派に分かれて活動したが,鎌倉に幕府が開かれてからは武家政権の本拠として日本史に大きな役割を果たし,室町時代には鎌倉には公方がいて関東8カ国他を支配した。永享の乱で鎌倉公方足利持氏が亡んでからは群雄対立の時代へと入ったが,北条早雲が小田原に進出して以後は後北条氏の治下にあり,徳川秀吉の天下統一以後は徳川氏譜代大名大久保氏の小田原のほか,旗本領が分有した。明治維新後,一時足柄県が置かれたが,やがて神奈川県に属して今日にいたっている。