●坂上田村麻呂 さかのうえのたむらまろ
アジア 日本 AD758 奈良時代
758〜811(天平宝字2〜弘仁2)平安初期の武将刈田麻呂の子。その家は東漢(やまと)麻呂は「赤面黄鬚」(せきめんおうしゅ,赤ら顔に黄色のひげ),腕力人に優れ,怒ってはったとにらめば猛獣も倒れるが,にっことほほえめば赤子もなつくと称された。桓武天皇はその将帥の器たるを認め,折から進行中の北辺のエゾ経営戦の指揮官に起用した。田村麻呂は初代征夷大将軍大伴弟麻呂のもとで副将軍として,自ら10万の兵をひきいて794年(延暦13),胆沢の会戦に大勝,803年(延暦20)には自ら征夷大将軍として,再び胆沢に出兵,完全勝利をおさめ胆沢城を造り,鎮守府をここに移し,北方経営の基地とした。エゾ経営はかれのもとで最終的に安定するので,かれは「北天の化現」(北方守護神の生まれかわり)と仰がれた。〔参考文献〕高橋崇『坂上田村麻呂』吉川弘文館
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