●酒井忠清 さかいただきよ
アジア 日本 AD1624 江戸時代
1624〜81(寛永1〜天和1)江戸時代前期の大老。はじめ三河西尾藩主のちに前橋藩主となった。酒井忠行の子。幼名熊次郎,通称本四郎。1637年(寛永14)家督相続,上野国厩橋(前橋)藩主となり,従四位下,侍従。1651年(慶安4)4代家綱将軍の時代に大将ついで雅楽頭となり,1653年(承元2)老中ついで老中首席となった1663年(寛文3)3万石加増をうけ,1666年,大老となり,保科正之・阿部忠秋が老中辞職のため,酒井忠清は専制権力者化した。そのため阿部正秋や池田光政の批判をまねいたが,いましめにもかかわらず改めることなく大手門外にて馬札を立て「下馬将軍」といわれた。彼が権力を掌握したのは,伊達騒動を裁決して威権を高めたことにあるという。1680年(延宝8)には2万石加増され,15万石の大名となった。彼は下馬将軍と称されて賄賂請托をほしいままにし,御家騒動を裁断し,家綱の危篤のときには,正仁親王を将軍継嗣としようとしたが,堀田正俊らの反対で果たさず,館林の綱吉が将軍となるにいたって老中を失脚した。