●酒井抱一 さかいほういつ
アジア 日本 AD1761 江戸時代
1761〜1828(宝暦11〜文政11)江戸後期の画家。姫路城主酒井忠仰の次子として江戸に生まれた。1797年(寛政9)病身を理由に西本願寺の文如の弟子となり,権大僧都に任ぜられ法名を等覚院文詮暉真と称した。1807年(文化4)下谷根岸に移り雨華庵をいとなみ,文化文政の世そのままに書画・俳諧に風流三昧の生涯を送った。絵は狩野高信から狩野派を,宋紫石から沈南蘋流の写生画風を,歌川豊春からは浮世絵を学んだ。さらに谷文晁と親交を結び,土佐派・円山派の影響も受けたが,最後には尾形光琳の画風に魅せられ,その様式の復興に専念。1815年(文化12)光琳百年忌をいとなみ,『光琳百図』『尾形流略印譜』を刊行,1823年(文政6)には『乾山遺墨』を編集した。画風は光琳をもとにした独自のもので,繊細な感覚と鋭敏な情感に特色をもつ。涛花・杜陵・屠龍と号し,俳諧・狂歌にも優れ,また国学にも長じた。句集に『屠龍之技』がある。代表作は「夏秋草図屏風」。