●西面の武士 さいめんのぶし
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後鳥羽上皇がその院中に設置した直属軍。院御所の西面に仕えたのでこの称がある。『愚管抄』に〈此御時(後鳥羽),北面ノ上ニ西面トイフ事始マリテ,武士ガ子ドモナド多ク召付ラレケリ〉とあるように,西面の武士には武勇に優れた武士たちが召しかかえられた。設置時期は明確でないが,1206年(建永1)5月関東祗候の武士加藤光員が西面に候し,検非違使(けびいし)に補任されたという記事(『吾妻鏡』)が史料上の初見である。西面の武士の任務は院御所の警衛のみならず強盗の追捕をも含んだ。『古今著聞集』には西面の武士が今津に出向いて強盗の張本を召し捕ったことが記されている。承久の乱とのかかわりでは,事前の1219年(承久1)に謀議を察知した大内守護源頼茂を誅殺したのをはじめ,北面の武士とともに京方の軍事力の中枢を担った。承久の乱後廃絶したが,鎌倉幕府はこのときの京方武士のなかに関東御家人が少なからず含まれていたことを重視し,在京御家人の統制を強めた。