●塞の神 さいのかみ
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塞の神は,近年一般に道祖神といわれるようになったが,奈良時代には道祖王と書いて“ふなどのおお”と読ませている。塞の神の文献上の原典は『記・紀の黄泉平坂の物語』で,男神イザナギが女神イザナミの死を嘆き,黄泉の国に行き,死体の恐ろしい姿をみて逃げ帰るとき,女神が怒って後ろを追ってきたので,黄泉平坂で磐石を据えてその追跡を逃れた。その磐石が“さえのかみ”であり,途中で投げた杖が“ふなどのかみ”とある。ともに邪悪なものを塞ぎ止める神であり,平安時代には陰相を着けた木偶などを道に据えてこれにあてた。江戸時代の寛文のころから仲むつまじい男女相愛像や単独の石像・男根・女陰などが村境に造立されて“さいのかみ”といわれてきたが,“ふなどのかみ”といってきた地方はみあたらない。祭りは小正月に集中し,“どんど焼き”などといわれる火祭りを伴う場合が多いが,塞ぎよりも男女和合や作神としての信仰の方が強い。
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