●斎藤茂吉 さいとうもきち
アジア 日本 AD1882 明治時代
1882〜1953(明治15〜昭和28)歌人。本名茂吉(しげよし)。別号,童馬山房主人(どうばさんぼうしゅじん)など。山形県南村山郡堀田村金瓶(現上山市)の農家守谷家の三男として生まれた。1896年(明治29)上京,医師斎藤紀一の養子となり,東大医科を卒業。精神病医を生涯の業とした。一高在学中,正岡子規の『竹の里歌』を読んで作歌に志し,1906年(明治39)伊藤左千夫の門に入り,「アララギ」の創刊に参加した。1913年(大正2)の『赤光(しゃっこう)』の刊行は,「アララギ」の歌壇的地位を確かなものにしたが,昭和以後も青山脳病院長を勤めながら,同派を率いて精力的な活動をつづけた。おもな歌集に『あらたま』『白き山』など。1934〜40年(昭和9〜15)の『柿本人麿』に代表される多くの研究書をはじめ,『短歌写生の説』そのほかの歌論書があり,随筆でも一家をなしている。1937年(昭和12)に芸術院会員となり,1951年(昭和26)には文化勲章を授与された。
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