●斎藤実 さいとうまこと
アジア 日本 AD1858 江戸時代
1858〜1936(安政5〜昭和11)五・一五事件後のいわゆる挙国一致内閣首班をつとめた海軍出身の政治家。岩手県水沢の生まれ。同郷の後藤新平とは胆沢県庁給仕役の同輩。1872年(明治5)上京,海軍兵学寮に学び卒業後すぐにアメリカの日本大使館駐在武官。山本権兵衛海相のもと,41歳で次官。これは1889年(明治22)山本が軍艦高雄の艦長心得,斎藤が砲術長・水雷長で同乗していたのを機縁とする。1906年(明治39)西園寺内閣海相,1912年(明治45)海軍大将。第1次山本内閣の1913年(大正2)海相,シーメンス事件で退陣と,15年間にわたり,山本・斎藤コンビが日本海軍を動かしていた。現役復帰後,三・一騒動後の朝鮮総督では民族運動の緩和をはかる。1927年(昭和2)ジュネーブ海軍軍縮会議全権。枢密院顧問官として1932年(昭和7),内閣首班。国際連盟脱退,農村匡救策などが行われた。軍部急進派からは英米派君側の奸なりと目され,1936年(昭和11年),二・二六事件で襲われ,内大臣斎藤実は射殺された。
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