●斎藤道三 さいとうどうさん
アジア 日本 AD1494 室町時代
1494〜1556(明応3〜弘治2)北条早雲・毛利元就と並ぶ“下剋上トリオ”の俗称棄てがたい美濃の戦国大名。55歳のとき入道して道三と称した。その経略の才と波乱の生涯によって通俗的知名度を高くしている。山城国乙訓郡で松波左近将監藤原基宗の庶子。幼くして仏門に入るが還俗し松波氏を称する。大永年間(1521〜27)燈油の商いをしつつ美濃国に往来,守護土岐氏の老臣長井家に出入りする。遊芸の才をして宴楽に傾く土岐頼芸に好まれた。長井家家老西村家の断絶にあって西村氏に改め,享禄年間(1528〜32)長井氏を殺略して長井を名のり小守護代となる。1538年(天文7)守護代斎藤利良の病没によって家名を継いだ。土岐頼芸の甘心篤く奸知・謀略を成功させている。1539年稲葉山城の修築を行い本拠とする。1542年,ついに土岐頼芸を尾張に追ってほどなく討滅,美濃の国盗りを仕上げた。織田信長との政略上,娘濃を信長に嫁がすが,1556年(弘治2)長子義龍と戦い敗死した。義龍もまた信長に滅ぼされた。
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