●採集狩猟民 さいしゅうしゅりょうみん
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農耕や牧畜を行わず,野生の動植物の狩猟・採集(漁労も含む)によって生計を立てている人々。狩猟採集民ともいう。約300万年もつづいた旧石器時代においては,すべての人間が採集と狩猟によって生きていた。しかし,およそ1万年前,農耕や牧畜が開始されるや採集狩猟経済は急速にそれらにとって代わられ,姿を消していった。現在では,地球上の全人口に占める採集狩猟民の割合は0.01%程度にすぎない。現存する採集狩猟民としては,アフリカ南部の乾燥地帯に住むブッシュマン,アフリカ中央部の熱帯降雨林帯に住むピグミー,北極圏のツンドラ地帯に住むエスキモー,カナダ北部の森林に住むアメリカ=インディアン,南米アマゾンのインディアン,東南アジアの山地帯・森林帯に住むネグリト,オーストラリア中央部から西部の乾燥地帯に住むアボリジン(オーストラリア原住民)などがあげられる。ただし,これらの人々のなかでも伝統的な採集狩猟生活を送っているものはその一部にすぎなくなっている。樺太から北海道にかけて住んでいたアイヌもかつては有名な採集狩猟民であったが,現在ではほかの生業についている。【歴史的展望】採集狩猟民の歴史は大きく三つの時代に分けることができる。[1]旧石器時代に代表される“採集狩猟民だけの世界”に生きていた時代。さまざまな自然環境への適応技術はこの時代において十分発達し,人類の分布は全地球的にひろがった。[2]新石器時代以後,農耕民・牧畜民と直接的・間接的接触をもって暮らしていた時代。この時代,多くの採集狩猟民が農耕・牧畜生活に転向していったが,一部のものは農耕・牧畜に不向きな土地に住むことによって,また一部は農耕・牧畜民と適当に住みわけることによって採集狩猟民生活を維持した。彼らは周囲の農耕民・牧畜民から各種の鉄器を導入し,狩猟および採集の効率は格段に高くなった。一般的な採集狩猟民生活から,農耕民・牧畜民との交換のための特定物の採集・狩猟に専門化した生活へ転向する人々も現れた。[3]西欧文明との接触以降。コロンブスなどによる新大陸の発見以降,ヨーロッパ人の移住・植民地化に伴ってそれまで新大陸・オーストラリア・アフリカ南部などに残っていた採集狩猟民も土地を奪われ,絶望的な闘いを強いられるなどして,急速に姿を消していった。かろうじて生き残った人々も,より厳しい生存環境に追いやられ,再適応を迫られた。直接的な侵略のおよばなかった場合でも西欧的物質文化ならびに市場経済の影響により,従来の伝統的生活様式や価値感の大きな変化を経験している人々も多い。一部のエスキモーは弓矢や鋸の代わりにライフルをもち,犬橇やカヌーにかわってエンジン付きボートやスノーモービルを走らせる。狩猟の目的は現金を得ることに傾き,それによって上記の装備や日常生活に入りこんだ西欧的商品を購入するのである。西欧的市場経済の一角にからめとられた採集狩猟民の未来は不明である。
【ゆたかな社会】採集狩猟民に関する,現地調査にもとづく本格的研究は1950年代に入ってようやく盛んになり,その結果,従来の憶測的採集狩猟民像は大きな変更を迫られることになった。従来の通念では,採集狩猟民生活は飢餓と隣り合わせで,人びとはつねに食物を求めてあてどなく彷徨し,余暇や生活の余裕とはほど遠い,不安定でみじめな生活を送っていると想像されていた。生存の基盤さえ不確かな生活では,社会制度や物質文化,ひいては倫理的諸観念さえ未発達であるのは当然とされ,“野蛮人”の代表というイメージさえもたれた。ところが現実の採集狩猟民は,巧みに所与の自然環境を利用し,かなり安定した生活基盤をもっていること,食糧獲得に費す時間はたいてい想像される時間よりも少なくてすみ,多くの余暇をもっていること,などが判明した。たとえばカラハリ砂漠北部に住むクン=ブッシュマンは,自然条件がひどく悪い年でも,集団内の各成人男女が1週あたり2〜3日食物調達活動に従事するだけで,子どもや老人を含めた全員が生活するのに十分な食物を得ていたのである。ほかの採集狩猟民集団においても,農耕社会あるいは産業社会の人々よりも少ない労働時間で用が足りている。これは採集狩猟民が自然環境に関する深い知識をもち,効率よく食物調達活動を組み立てていることのほかに,彼らの生活・社会全体が低エネルギー型となっていることに原因がある。すなわち食物の保存・貯蔵をほとんどせず,移動生活の必要から物質文化も最小限におさえられていること,生活集団やテリトリーは柔軟な構造をもち,環境の変化に即した適応的な対応が容易にとられ,無駄なエネルギーが使われないことなどである。そして人々は十分な余暇を昼寝などの休養,仲間とのおしゃべり,友人や親類の訪問などに用いて楽しんでいる。人類学者サーリンズはこのような社会を,経済学者ガルブレイスのいう現代のアメリカに代表されるような「ゆたかな社会」に対して「本来のゆたかな社会」と名づけ,その特徴を表そうとした。欲望が容易に満たされる状態をゆたかさの定義とするならば,採集狩猟民社会においては人々の当面の欲望はその日1日分の食物の確保に限定されており,多くの場合さほど困難なく満たされるからである。またほかの必要物も簡単に入手しうるものばかりである。サーリンズのこの見解は単純すぎるとの批判があるかもしれないが,採集狩猟民社会に,つい産業社会の価値感や動機づけをもち込み,彼らの生活をみじめとする自民族中心主義的傾向を鋭く糾弾していることは確かである。
【生態・社会】採集狩猟民の生存環境は千差万別で,食糧資源やその入手方法は当然のことながらさまざまであるが,基本的な生活様態には強い類似性がみられる。以下に採集狩猟民生活に広くみられる特徴をあげる。[1]小集団(バンド)を単位とする非定住的生活。多くの採集狩猟民は数家族〜数十家族からなるバンドを形成し,適宜居住地を移して生活をしている。移動の最も重要な要因は食物の分布状況である。手近(大体居住地から8kmまでの範囲)に手ごろな食物が乏しくなると必然的に移動する。[2]移動生活は普通一定の範囲内にて行われる。この空間は一般にテリトリーと呼ばれる。テリトリー内の資源に対してバンドは所有権をもつが,必ずしも排他的でなく,他人の使用も寛大に認めることが多い。[3]移動生活の必要のため物質文化はきわめて質素であるが,楽器・装飾品なども含んでいる。住居も高緯度地帯を除けばきわめて簡素で,使い捨てである。[4]北極圏では植物資源が育たず,採集活動は成立しないが,低緯度〜中緯度地帯では採集活動がきわめて重要な役割を果たしている。狩猟は採集と比べるとはるかに不安定な活動であり,とくに狩猟対象が大型獣になるほどこの傾向は強まる。そこで日常生活においては採集による植物性食物が食事の主体となっているところが多い。しかし獣肉には特別な嗜好的価値が認められ,多くの男たちは狩猟に精を出す。ブッシュマンでは,肉は“真の食物”であり,「植物性食物はこれを必要なだけ食べ,肉はこれを可能なかぎり食う」というストラテジーがとられている。[5]食物はバンド内において適宜分配・分与される。とくに獣肉については分配・分与が義務化していることが多い。これによって獣肉の効率的消費がなされ,またバンドの連帯が強化される。[6]バンドは季節の推移に伴う食物資源の変動などに対応して適宜分裂・合体する。またバンドは閉鎖的集団ではなく,メンバーの出入りはかなり自由になされる。この流動性によりテリトリー間の食物資源の偏りが平均化される。バンド間の情報流通も達成される。以上のような諸特徴をもつ採集狩猟民生活は,最もシンプルな生活であると同時に機能的で環境の変動に対する適応性の高い低エネルギー型の生活となっている。そして人々は強い平等主義的精神をもって暮らしている。
〔参考文献〕M=サーリンズ,山内景昶訳『石器時代の経済学』1984,法政大学出版局
市川充雄『森の狩猟民』1982,人文書院