●サイゴン条約 サイゴンじょうやく
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インドシナ進出に強い関心をもつナポレオン3世は,1857年春,トンキン(ベトナム北部地方)におきたカトリック宣教師殺害事件を機会に出兵を決意し,11月極東艦隊にダナン占拠を指令した。この指令は1858年1月艦隊司令長官に渡り,アロー号事件が6月天津条約で片付いたのち,8月31日ダナンを占領し5カ月駐屯した。翌年2月,艦隊は南下し,安南(アンナム)阮(グエン)朝の南部地方の総鎮嘉定(ジカディン)城を攻略し,1861年極東派遣軍司令官となったシャルネ提督は東部3省を占領し,1862年3月には後任ボナール提督は永隆(ヴィンロン)省も占領した。この戦果のうえに,6月サイゴンにおいて第2回フランス-安南条約(第1回サイゴン条約)が成立し,フランスは東部3省・崑崙(こんろん)島を獲得した。1873年12月,トンキンに派遣された海軍士官ガルニエはハノイ付近で黒旗軍残党の反撃に遭い,戦死した。普仏戦争後のフランス本国の事情を受け,トンキン問題への深入りを避けたデュプレ知事は,1874年3月第3回フランス-安南条約(第2回サイゴン条約)で,コーチシナ全土を獲得するかわり,北部の阮朝の主権を承認した。