●崔浩 さいこう
アジア 中華人民共和国 AD381
381〜450 北魏の漢人政治家。清河東武城(山東省東武城)の人。字は伯淵。崔宏の長男。若いころから文学を好み,天文にも通じていた。409年(永興1)明元帝に顧問役としてとりたてられたが,拓跋部族の功臣の不満をかい,太武帝即位の年(424)に政権内から一時,追放された。その後,嵩山にいた道士寇謙之と盟約を結び,再び太武帝に用いられ,赫連(かくれん)氏・柔然,さらには沮渠(そきょ)氏の討伐を推し進めて成功裡に終わらせ,ますます,帝の信任を得るようになった。446年(太平真君7)には漢人士大夫による礼教国家の実現をはかって帝に廃仏毀釈を断行させ,一応の目的を達した。しかしながら,拓跋部族の人々は以前から漢人重用の朝廷の方針に反感をもっていたため,崔浩による史書編さんが漢人の立場からの記述に終わると彼らの不満が一挙に噴出し,450年,一族とも皆殺しにされた。崔浩の家は書道にも名があり,彼自身も名手として知られた。