●西園寺公望 さいおんじきんもち
アジア 日本 AD1849 江戸時代
1849〜1940(嘉永2〜昭和15)明治から昭和にいたるまで活躍した政治家。公卿の名門の出身で,内閣総理大臣もつとめた。徳大寺公純(きんいと)の次男として生まれ,西園寺師季(もろすえ)の養子となり,跡を継いだ。学問・武芸ともに優れ,西洋への関心が深かった。王政復古の新体制のもと,参与に任ぜられた。討幕軍の山陰道総督・大参謀などをへて,越後府知事に任ぜられた。その後,1870年(明治3)に法学を学ぶ目的でフランスに留学。帰国後は明治法律学校(のちの明治大学)の教師や「東洋自由新聞」の社長となった。まもなく政府に入り,伊藤博文に従ってヨーロッパに行き,伊藤の後継者としての地位を確立した。以後,ドイツ・オーストリアの公使,文部・外務・大蔵の各大臣を歴任し,賞勲局総裁・貴族院副議長・枢密顧問官などをつとめる。立憲政友会の総裁となり,1906年以後,数回にわたって内閣を組織,鉄道の国有化・満州問題の処理などに実績をあげたが,2個師団の増設をはかる陸軍と対立し,内閣は倒れた。大正天皇から元老に推薦されたのちは,原敬「平民」内閣を推薦するなど,政界に隠然たる勢力を占めた。「最後の元老」として軍部の政治的進出を押さえようとしたが,果たせないまま没した。〔参考文献〕木村毅『西園寺公望』1950
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