●西域 さいいき
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せいいきとも読む。中国人が,中国の西方の諸外国を総称して用いた名称。班固の『漢書』には西域伝があり,西域の範囲を天山山脈と崑崙山脈のあいだにひろがるタリム河の盆地のオアシス都市国家群としている。この定義は,中国人の西方に関する地理知識の拡大によってその範囲をひろげていった。『後漢書』『北魏書』『隋書』『新唐書』の西域伝のほか,隋代の『西域図記』・唐代の『大唐西域記』・明代の『使西域記』・清代の『皇輿西域図志』『西域聞見録』『西域水道記』などでは,タリム盆地を通過する交通路によって到達する地方すべてを西域のなかに含める場合が多い。漢は西域を統轄するための機関として,前59年(神爵3)初めて都護府を烏塁城におき西域都護府と名づけた。その長官を西域都護といい鄭吉が任命された。西域都護としては後漢の班超が著名である。班超の子の班勇は西域長史とあり,後涼の西域大都護などの名称もあった。唐代は北庭・安西の両部護府によって西域は経営された。