●座 ざ
アジア 日本 AD
歴史的には同業組合として知られる。鎌倉・室町時代の商工業者・交通運輸業者などが,朝廷および社寺を本所として結成した特権的同業者団体をいう。【座のおこり】座の起源は,朝廷や社寺の儀式・法要に設けられた特定の座席を占める集団にさかのぼる。なかには,大化の改新以前に存在した手工業者の部(べ)の一部,品部(しなべ)や雑戸(ぞうこ)の流れをくむものもあった。彼らは,朝廷や寺社に属して種々の雑役に従っていたが,律令体制の解体とともに,徐々にその隷属的な関係から脱却しつつも,なお公家や寺社に従属して雑役についていた。また,平安期に入り,国衙領の減少を強いられた公家や寺社などの荘園領主は,荘園や国衙領の農民を奉仕団体として種々の雑事に使用しはじめた。朝廷・公家ではそうした人々を供御人(くごにん)・雑色(ぞうしき)・駕輿丁(かよちょう)と呼び,神社では神人(じにん),寺院では寄人(よりうど)と呼んでいた。平安末期になると,これらの人々はしだいに増加し,彼らは自らの俸禄不足を補うために,貢納の余剰の品々を販売することを許され,朝廷や公家・寺社でも,彼らが支払う公役としての雑事・貢納の代わりに,彼らの営業活動に対しては課税を免除した。こうして,公家や社寺などの本所(ほんじょ)に隷属する集団は数を増し,朝廷や社寺の儀式でも一定の座を占めうるようになった。たとえば,平安末期に座として成立したものの一つに朝廷の駕輿丁座がある。四府(左京の兵衛・兵衛府)に所属して,天皇行幸の際には鳳駕をかつぎ,種々の営業活動にも従事していた。駕輿丁座のなかには,一人の兄部と補佐役の沙汰人がおり,兄部に納金し,代わりに身分保証の補任札を兄部をへて与えられた。鎌倉時代になると,こうした公家・寺社への奉仕集団は,本所に対する奉仕よりも,むしろ自身の商業的な営業活動を目的とする営利集団へと発展した。そのために市場を中心として特定の商業地域が形成され,町座ないし中座と呼ばれた。商業区域内の座は専売権をもち,他の地域で勝手に商売することを禁止する傾向にあった。このようにして,商工業者の座は,鎌倉中期以降,商品経済の発達した京都・奈良を中心に荘園領主の保護のもとに隆盛を迎えることになったのである。
【座の展開】鎌倉時代に入って発展を遂げた座は,商品別に分化されて数がふえていった。京都を例にとると,朝廷に属するものに四府に駕輿丁座,典薬寮に地黄煎座,木工寮に扇座,掃部寮に紺灰座,内匠寮に大舎人の織手座,図書寮に宿紙上下座などがあり,その所司の長官が座役を徴収していた。その他祇園社の綿座・練絹座・魚座・材木座,北野神社の酒麹座,その近郊の大山崎の油座,石清水八幡宮の紺座・酒麹座・米座などがあった。こうした座の機能として重要なのは,第1に営業税・市場税・関税などの課税免除であった。第2には,仕入れ・販売の営業の独占権であった。大山崎油座は,油の原料の荏胡麻の仕入れ権,灯油・食用油の製造権・販売権をもち,特許を得て営業活動を行っていた。しかしこれも南北朝の時代に入り,農村の生産力の向上によって余剰生産物が生まれ,その販売を目的として市場が簇生するようになると,その権益は独占的たることができなくなった。新儀商人といわれる新興の商人が多数現れ,新座をつくり,決められた町座以外で営業活動を始めたのである。大山崎の油座も堺の油商人などと,油の製造・販売をめぐって対立した。この動きは応仁の乱後ますます拍車がかけられ,旧座衆は,衰退した荘園領主に代わって,幕府や地方の有力戦国大名の被官となり,座役を納めて保護を求めようとした。しかし,戦国大名は領国経済を統一するために楽市楽座を設けて商工業者を統制下におき,御用商人として保護しつつ専売権を与えて課税を免除した。ここに座の機能は失われ,やがては,単なる同業者団体の株仲間へとしだいに変容していくことになった。ヨーロッパにおけるギルド制と似る。