●コンラート2世 コンラートにせい
ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD990 ザクセン朝
990ごろ〜1039 ドイツ王(1024〜39)イタリア王(位1026〜39)神聖ローマ皇帝(1027〜39)ザリエル朝の始祖。フランケン公国のシュパイエル伯ハインリヒの長子でオットー1世の娘リウトガルトの曾孫。ザクセン朝断絶後,国王に選挙される。ザクセン朝期の教会政策を継続・推進,一方で王領地の拡大につとめる。家臣に対して封土の世襲と不可奪性を保障した(1037)。対外的には,シュレスヴィヒをデンマーク王に譲ったが(1025),ポーランド王からは一部領土を奪還し,王を臣従させた(1031〜1033)。第1回のイタリア遠征でイタリア王位につき(1026),神聖ローマ皇帝(1027)の冠を受けた。さらにブルグント王位を加えて(1033),三王国から構成される帝国の政治的領域を確定した。1037〜1038年イタリア再征。内外両政策において実績をあげ,国王支配権の整備・強化に貢献した。シュパイエル大教会堂の建設者。