50音順    検 索

●墾田 こんでん

アジア 日本 AD 

 新開の田地および後にはその予定地をも言う。『日本書紀』・『風土記』の中に〈治田連〉・〈新治〉などの人名・地名が見られるように,開墾は古くから盛んであった。律令条文に明確な規定を欠くため令制初期における存在形態については諸説があるが,『令集解』田令荒廃条所引古記説や和銅4年12月6日詔などにより,何らかの形で一般農民の空閑地開墾権が認められていたとする見方が有力である。また古記の説く墾田主の死亡による墾田収授規定によって班田制で収授すべき熟田が集積されたと見る河内祥輔氏説も注目に値する。やがて墾田は723年(養老7)の三世一身法で,新造溝池による開墾の場合は三世,旧溝池を利用した場合は一代限りの私有を認められ,さらに743年(天平15)の墾田永年私財法で条件付きながら永久私有が許された。しかし,一部有力貴族・寺社の積極的な墾田獲得の過程でその条件は有名無実化し,彼らの墾田開発・私有地化は荘園制成立の一因となった。