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●根栽農耕文化 こんさいのうこうぶんか

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 イモ栽培を中心とする農耕文化。中尾佐助は,世界の農耕文化を四つの基本複合から成ると考えている。すなわち,バナナ・ヤムイモ・タロイモ・サトウキビといった作物を栽培化した東南アジアの熱帯降雨林地帯に起源をもつこの根栽農耕文化と,コムギ・オオムギなどの作物を伴う地中海農耕文化シコクビエなどを伴うサバンナ農耕文化,トウモロコシなどを伴う新大陸農耕文化である。彼は,この東南アジア起源の農耕文化を,新大陸で発展したイモ栽培文化と区別するために,ウビ農耕文化とも呼んでいる。そして,この農耕文化のおもな作物類が,種子によらない栄養繁殖によることと,この農耕文化においては倍数体の利用が高度に発達していることを重視して,これが人類最古の農耕文化であろうとしている。

 こうした東南アジア起源のイモ栽培に特色をもつ農耕文化を重視し,しかもそれを最古のものとする見方は,中尾だけが主張するものではない。たとえば,サウワーも同様の見解を示しているし,マードックもこの地域に独立した農耕の発生を考えている。

 根栽農耕文化における栽培植物は樹木作物とイモ類を中心としている。それらのうち代表的なものとして,バナナ・ヤムイモ・タロイモ・サトウキビ・サゴヤシ・パンノキなどがあげられる。

 これら植物の繁殖は,根分け・株分け・さし木などで行われる,いわゆる栄養繁殖によっており,繁殖において種子が関わる場面がないという共通する特色をもっている。この農耕文化を人類最古のものと考える学者達は,このことをもって,この農耕文化が人類が種子の役割を知る以前に始まった農耕文化であり,種子によって繁殖させる,中近東起源の麦作文化に先行するものだと考えている。

 これらの栄養繁殖による作物は,倍数体を利用することによって高度に品種改良されたものであり,あるものは栽培原種の同定が困難とされている。

 この東南アジアで栽培化された作物には,これら地域に分布し,栽培化が可能であったと考えられるマメ類と油料作物が欠けている。すなわち,この文化の作物類はデンプン質と糖分のみを提供するだけである。このため,この文化の食糧体系には,タンパク質と油脂類を補うために,小規模の狩猟ないし漁業が不可欠となる。サウワーは,この特色は,この文化の発明者が内水面漁業を行う民族であったことを暗示するものだと考えている。

 作物の栽培は,掘り棒のみによっても可能であり,多くは,樹木作物のあいだでヤムイモやタロイモをつくるといった形で,混作の庭畑的な畑地で行われる。土地の開墾は焼畑によって行われる。作物を食料として加工するには,必ずしも土器・金属器を必要とせず,現に,無土器の農耕文化があった。したがって,この農耕文化は,簡単な掘り棒と,それをつくるためおよび開墾用の石斧さえあれば成立しうるものであり,石器時代にふさわしいものである。

 この農耕文化の起源地を,主要作物の栽培種の先祖種の分布から見てみよう。まず,バナナの一次起源地と考えられているのはマレー半島であり,ついで東・西へと伝播した結果,フィリピンとインドにおいて品種改良がされたとされている。またヤムイモもマレー半島で栽培化されたと推定されており,タロイモはインドのアッサム州周辺で,サトウキビはニューギニア,パンノキはインドネシアの諸島で栽培化されたと推定されている。したがって,この農耕文化の起源地は,マレー半島を中心とし,ベンガル湾沿岸の地域から,インドシナ半島,ニューギニア島にかけての東南アジアの熱帯降雨林地域ということになる。

 中尾とサウワーは,たぶんここで発生した農耕文化が,完全な文化複合として成立する前に西方へと伝播し,それが地中海農耕文化を成立させる刺激となったと考えている。また,この文化は,バナナ・ヤムイモ・タロイモ・サトウキビという主要四作物の組合せが完成したのちに,東方へはポリネシアへ,西方へはマダガスカルを経てアフリカのギニア湾沿岸の熱帯降雨林地域へと伝播した。一方,北への伝播は,ヒマラヤ山脈南斜面からインドシナ半島の山岳部,中国の雲南地方において,温帯でも栽培可能なイモ類として,サトイモ・ヤマノイモの栽培化を促し,根栽農耕文化の亜系として照葉樹林文化を成立させることになった。 ところで,根栽農耕文化は,最も高次の段階になって初めて,イモ類と樹木作物以外に穀類としてハトムギをインドのアッサム州周辺で栽培化した。しかし,ハトムギ栽培はその直後に流入してきた陸稲にとって替わられた。すなわち,サバンナ農耕文化の雑穀栽培の刺激をうけ,インド東部からインドシナ半島にかけての湿潤地域において雑穀の一種として栽培化された稲が,根栽農耕文化地域の西部および中心部に導入され,水稲栽培がイモ栽培にとって替わって農耕の中心的位置を占めることになった。これと同時に,サバンナ農耕文化起源のさまざまな作物もこの地域に導入されていった。このため,根栽農耕文化は,もともとの分布地域のうち水田化が進まなかった地域にとくに目立って残されることになった。

 東南アジアの熱帯降雨林地域に,このようなイモ栽培に特色をもつ農耕文化が展開してきたことには異論は少なかろうが,この農耕文化が世界最古のものであるかどうか,またはそれが独立に成立したものであるのかどうかという点には異論も多い。それらのおもな反対論を見ると,まず,この農耕文化に関わる考古学的な資料が発見されていないことをあげ,考古学の立場から中近東の農耕文化の方が古いとする主張がある。これに対する,根栽農耕文化先行説の反論は,イモ類がモミのような形で腐らずに残る可能性が小さいこと,またとくにこの地域では有機物が気候上腐食しやすいこと,農具は掘り棒と石斧のみが必要であるだけであり,食料加工の用具もとくに必要としていないため,農耕の存在の証拠となるものが作物自身以外に見当たらないことを論拠としている。また,ある学者は,中近東においても,イモ類の採集・利用はかつて重要であったとし,必ずしも栄養繁殖型の農耕が東南アジア熱帯特有なもので,これが種子農耕文化に先行した理由とは言えないとしている。

 ところで,東南アジア起源の根栽農耕文化(ウビ農耕文化)とは別に,新大陸においても三つの根栽農耕文化が成立した。それらのうち最もアジアのそれに近いのは,ベネズエラ付近のもので,ここではキャッサバが栽培化された。この根栽農耕文化においては,ほかにもタロイモに似たヤウティアを初め,ヤムイモの一種も栽培化され,種なしの果実類もつくり出された。このイモ栽培文化も,焼畑農法によっていたなどの点まで東南アジアの根栽農耕文化とよく似ているが,完全な文化複合として成立する前に,トウモロコシとマメ類を受け入れてしまった。新大陸では,このほか,メキシコ高原の暖温帯でサツマイモが栽培化されているが,ここではこれ以外のイモを栽培化していない。またボリビア・ペルーの高山地域では,冷温帯のイモとしてジャガイモが栽培化された。ここではほかに,オカ・ウルコ・アヌウ・ラカチャといった他地域には伝播しなかったイモも栽培化された。

〔参考文献〕中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』1966,岩波書店

サウワー,竹内常行・斎藤晃吉訳『農業の起源』1960,古今書院