●権五郎伝説 ごんごろうでんせつ
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権五郎景正。鎌倉権守景成の子。源義家の家臣。『保元物語』などには,16歳で出陣し,右の目を冑(かぶと)の鉢付の板まで射抜かれたが,答の矢で敵を射殺し,後には神に祭られたとある。彼の名は目洗い池や源五郎鮒(げんごろうぶな)など片目魚の伝説に関連して多く残っている。矢で片目を射るモティーフは,中国でもゲイ※注1※が洛水の河泊の左眼を射,『三国志』の英雄夏侯淵が左眼を射られながら敵を倒したなどの話に見られる。わが国では『俵藤太物語』に平将門が双瞳の左眼を射られカタメ※注2※大明神と祭られたとする話もあり,御霊(ごりょう)信仰との深い関係が考えられる。“五郎”は“御霊”に由来するもので,権五郎のほかにも加納五郎・落合五郎兼行・仁科五郎信盛の社・花井惣五郎の塚など祭祀の対象となっている例が多い。柳田国男は,景政が神を祭り仏堂を建立し神木を植えて塚を築いたなどの口碑が奥羽から九州に及ぶことを指摘し,また彼の社が八幡太郎義家と関係深い八幡神の余徳をうけ,相殿の位置を占めることに注目して,権五郎の伝承がこの八幡信仰とともに広められたのであろうと推論する。八幡神は鍛冶職と関係深く,鍛治神が天目一箇命(アマノマヒトツノミコト)のように一つ目であったことからこの伝承が形成されたものであろう。〔参考文献〕柳田国男「目一つ五郎考」『定本柳田國男集5』,筑摩書房
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