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●コロナートゥス制 コロナートゥスせい

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 土着農夫制と訳す。ローマ帝政末期,法的に土地に拘束され移動を禁止された小作人の状態を示す。彼らは奴隷と違い法律においてはその人格的自由を認められてはいるが,移動の自由がない点などから見ると,中世の農奴にきわめて近いと考えられ,またその身分は世襲された。コロヌスはローマ共和政において一般に自営農民を意味したが,共和政末期になるとコロヌスはまた,小作人をもさすようになった。小作制の発達は大土地所有制と密接な関係をもっていた。しかし,前2世紀から1世紀ごろまでのローマの大土地所有制の特徴は,むしろ奴隷制直営地の経営にあった。だが2世紀になるとしだいに小作制が重要な役割をもつようになってきた。このように,2世紀に重要視されてくる小作制においてコロヌスはなお自由なローマ市民であった。コルメラの『農事記』・『小プリニウス書翰集』・法律集『ディゲスタ』などの記述から判断すれば,彼らは地主との土地貸借関係において,原則として短期契約であること(一般的には5年間),地代は一般に貨幣であること(のちにはしだいに現物地代となった),契約終了後は自由にその小作地を去ることが出来ること,などが認められていた。しかし,このかつては自由であったコロヌスが,332年の法令では土地に拘束されるべきことが定められている。この法令から理解されるコロナートゥス制の特徴とは次のようなものである。すなわちコロヌスは原籍地に拘束されること,コロヌスは人頭税の対象となり地主がその支払いの義務を負っていること,コロヌスは法制上は自由人であるけれども,身分的にはまったく奴隷に近い扱いを受けていること,などである。それでは,2世紀にはなお自由であったコロヌスが4世紀になるとなぜこのような隷属状態に落ち込んでいったのであろう。このいわゆる“コロナートゥス制起源問題”はきわめて複雑であり,ローマ帝国の構造とその変質を中心に考察してゆく必要があるだろうが,ごく核心的部分としてディオクレティアヌスの改革が指摘されなければならない。五賢帝時代,ローマ帝国の領域は最大に達し繁栄の頂点に達したが,反面その帝国維持のための財政的負担は急激に増大した。その後帝国の繁栄にはかげりが見えはじめ,3世紀の“軍人皇帝時代”にその政治・経済・社会はまったく動揺し無政府状態となってしまった。この混乱に終止符をうち,秩序を回復した皇帝が,284年に即位したディオクレティアヌスであった。彼は,明確な中央集権的官僚国家を樹立するためにさまざまな改革を行ったが,その一つとして国家財政保護のため,地主に負わされていた租税を廃して,新たにユガティオ・カピタティオ制を導入したのである。この新しい財政組織は一見合理的にみえたが,調査された租税単位を維持するためには,農業労働者の流動を阻止する必要があり,このような点から土地に拘束され移動を禁止されたコロヌスを使用するコロナートゥス制が成立したと考えられる。しかし,このいわゆるコロヌスと呼ばれていた農民の状態が帝国全域において単一であったかどうかは疑問とされる。少なくとも帝国東部においてはなお多数の自由小作人層の存在が確認される。このような地域による相違は,当然,ローマ帝国全体が同一のコロナートゥス制によって貫徹されてはいなかったことを予想させる。この相違はのちの西欧封建社会(中世農奴制)の発展と自由な村落共同体を基盤とするビザンツ中期社会への発展をそれそれ導くことになったと考えられる。

〔参考文献〕井上智勇『ローマ経済史研究』1948,弘文堂

村川堅太郎「羅馬大土地所有制」『社会構成史大系』1949,日本評論社

浅香正「大土地所有の発展とコロナート制の成立」『世界歴史講座』第2巻,1969,岩波書店