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●御料所 ごりょうしょ

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 [1]室町時代から江戸時代までの皇室の所領地のこと。御料・禁裏(きんり)御料・仙洞(せんとう)御料などともいう。室町時代には皇室の廷臣が御料所奉行として管理した。しかし,江戸時代においては,幕府の役人が管理をした。[2]室町幕府や守護大名・戦国大名の直轄領のこと。室町幕府(足利将軍家)御料所は,山城国を中心に38カ国,200カ所ばかりに分散していたことが明らかにされてきている。幕府はこれを将軍直属の家臣に預けて,その年貢収納の役割などを担わせていた。しかしその基盤は,江戸幕府の御料所(天領)と較べると,不安定な内容のものであった。[3]江戸幕府の直轄領のこと。通常“天領”というが,御料・御領・蔵入地(くらいりち)・代官領・幕領などともいう。江戸幕府の直轄領は,その初期には約240万石であったが,それ以後大名の改易・滅却などによる収公と新田開発に伴って,元禄時代(1700ごろ)に約400万石に達した。そののち1744年(延享1)の463万石余を最高として以後減少するが,幕末まで400万石台を維持していた。天領の分布は,全国68カ国中,大藩の領国となった国々21カ国を除いた47カ国に散在し,時期により多少の移動があるが,1730年(享保15)の場合でみると,448万石余のうち,関東筋108万石弱,東海道筋と北国務が80万石弱,畿内筋が71万石余,奥羽筋50万石余,中国筋44万石余となっている。幕府のお膝元の関東,米作地帯の北陸,大坂をひかえた商品作物生産地帯である近畿,関東と上方をつなぐ幹線の要地東海道に多いことがわかる。そして元禄以後天領は,全国総石高約3,000万石の13〜15%を占めた。幕府は,勘定(かんじょう)奉行管轄下で数十人の郡代・代官・遠国(おんごく)奉行に天領を分割支配させ,貢租徴収をはじめ民政全般にあたらせたが,一部はもよりの大名に預所として委託した。1730年(享保15)の場合を見ると,郡代と代官の支配地は360万石余(80%)を占め,大名預所は74万石弱(17%),遠国奉行付は14万石弱(3%)となっている。一般に天領の農民は,幕府の権威をかさにきて,大名らの領地である私領の農民に対して優越感を抱き,また天領の貢租が私領のそれよりも比較的に軽いので,私領の農民は天領に編入されることを望む傾向にあったといわれる。幕府の直臣である旗本の知行所(ちぎょうしょ)(旗本領)の分布も,天領とほぼ同様の傾向であった。天領と旗本領を合わせた幕府の領地は,享保期の調査では680万石,このうち大領約420万石(62%),旗本領約260万石(38%)であり,1868年(明治1)の調査では約706万石,このうち天領約400万石(57%),旗本領306万石(43%)である。いずれにしても全国総石高の4分の1近くとなっている。これだけでも個々の大名をはるかに凌いでいた。そのうえ幕府直轄地は,土地だけでなく,政治・軍事・経済上の要地である都市・港湾・鉱山にも及んでいた。このように天領をはじめとする幕府直轄地は,経済的に諸大名より圧倒的に優位であっただけではなく,関東・東海・近畿を中心にほぼ全国に散在し,徳川一門の領地・譜代大名領・旗本領とともに政治・軍事上の重要地域に分布して,外様大名相互間を分断・監視する役割も担ったといえよう。

〔参考文献〕『古事類苑』政治部,吉川弘文館